後千年王国説について

 

後千年王国説(ポスト・ミレ)について論じる前に、まず私たち後千年王国論者は、人間が作った思想や主義によるのではなく、あくまでも聖書が何を述べているかに忠実であろうとしていることをご理解いただきたいと思います。

たしかに、近年、後千年王国説は進化論や19世紀に登場したヒューマニズムの影響で生まれたと考えられてきましたが、私たちは、そのような人間的な考えからヒントを得ているのではなく、聖書を虚心坦懐に読むことからこのような結論を得ているのです。

歴史的に見ても、後千年王国説が進化論やヒューマニズム発展史観の影響から生まれたものでないことは明らかです。H・リチャード・ニーバーが『アメリカにおける神の国』(1937年)において、「後千年王国説は社会的福音(ヒューマニズムや社会主義思想に基づく社会建設を主張)を生み出した」と述べてから、後千年王国説があたかも進化論やヒューマニズムと関係があるとか、それらの影響を受けて出来たかのように言われるようになりましたが、実のところ、後千年王国説の起源は進化論やヒューマニズムの発展史観が登場する千五百年も前に遡ります。アウグスチヌスが唱えた後千年王国説の標準教理は、その後千年間もの間教会の主流の立場となりました。宗教改革以後この立場を採ったのは、主にアメリカのピューリタンたちですが、これも、進化論や弁証法的発展史観が登場する二百年も前のことです。現代の後千年王国論者は、主にカルヴァン主義者ですが、彼らのほとんどは「人間は、ただ聖書に示された神のご意見にしたがってすべてのものを見、解釈しなければならない」と主張したウェストミンスター神学校の故ヴァン・ティル教授の前提主義に立っており、人間の理性を信じ、神のご意見を無視するヒューマニズムの世界観と真っ向から対立しています。

後千年王国説が「歴史は発展する」と主張するのは、進化やヒューマニズムの発展史観を信じるからではなく、神の力を信じるからです。キリストは、「出て行って、すべての国民を弟子とせよ。」(マタイ28・19)と言われました。すべての国民を弟子とし、彼らにバプテスマを授け、キリストが命じた教えをすべて守るように教えよ、と神が命じられたのですから、それはできる、と考えます。「御国が来ますように。御心が天で行われるように、地上でも行われるように」(マタイ6・10)祈れと命じられた以上、それが実現しないはずはないと信じます。コロンブスは「全地は王なるキリストの主権の下に置かれなければならない」とのイザヤの預言を信じて航海を進めました。世々の伝道者たちは、同じような希望を持って世界宣教に乗り出しました。インドの宣教師ウィリアム・ケアリは、ポスト・ミレの信仰を表明して次のように言いました。「サタンの領土が完全になくなるまで、キリストの支配は拡大されねばならない。」

それに対して、ある人々は、「現実を見てください。二度の世界大戦、環境破壊…。世界は破滅の危機に瀕しているではないですか。クリスチャンの伝道と弟子作りによって世界に神の国が到来するなんてとても信じられません。」と言います。しかし、世界が破滅の危機に瀕しているのは、ノンクリスチャンが自分の知恵に頼り、神の御言葉を無視した結果なのです。バベルの塔が崩壊しかかっているからと言って、神に力がないということにはなりません。むしろ、私たちは、「だから、御言葉に従う以外に方法はないのだ!」と世の光の役割を果たさなければなりません。

神は、この数百年の間、人間を神とする宗教―ヒューマニズム―の活動を見逃してこられました。それは、人間に自分の限界を悟らせるためです。「神などいない!」と叫ぶ人々は、自分の力に頼って、近代科学(これはもともとキリスト教から生まれました)を悪用して自分の王国を作るようになりました。しかし、二度の世界大戦、共産革命の失敗、無神論教育の破綻、経済危機など、神を離れて行った試みはすべて失敗したことが明らかになりました。人類は、父親から離れて落ちぶれてしまった放蕩息子のような状況です。哲学の分野では、現代は「死の時代」と呼ばれています。人類には、もはや有効な指導的な原理はありません。放蕩息子が立ち直ったのは、ただ父を思い出して家に帰ることによってだけでした。それと同じように、人類も、神の御言葉に立ちかえって、神に従う道に戻るしか方法はありません。クリスチャンは、世の光として、その道を示すことができます。全世界の国民を神のもとに立ち帰らせることができます。

ピューリタンの時代から、後千年王国説は、ユダヤ人の回復(パレスチナ復帰とイエスへの信仰)に続いて、全世界的なリバイバルが起こると主張してきました(ローマ11・15)。リバイバルが起こり、世界中で多くのクリスチャンが生まれ、人々が聖書の原理に基づいてあらゆる事柄を考えるようになると、彼らは、現在、サタンが牛耳っているあらゆる領域(政治・経済・芸術・教育・家庭など)を次々と御言葉によって改革しようとします。そして、ついに御言葉にしたがってすべての領域が神の創造目的にかなう秩序に回復されます。つまり、神がアダムにお与えになった「地を従えよ」(創世記1・28)との命令が成就するのです。これが何年先になるか誰も分かりません。しかし、そのような回復の時、サタンに対する勝利の時が来ることはあらかじめ神が定めておらます。なぜならば、次のように言われているからです。「しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。」(へブル10・12,13)。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい。」(使徒2・35)。「それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで(原語では「万物がもとの状態に回復される時まで」)、天にとどまっていなければなりません。」(使徒3・20−21)。サタンの国が征服され、万物が回復することは、全能の神によって予定されています。またこれらの聖句からはっきりと分かることは、再臨があって、それから回復が来るのではない、ということです。まずクリスチャンが聖霊の力によって回復の業を行い、敵が「足台」となるまでイエスは「天にとどまっていなければな」りません。

キリストは世界の王として現在神の右の座に座っておられます。そして、クリスチャンも、彼とともに天のところに座っている世界の王なのです(エペソ2・6、第2ペテロ2・9)。それゆえ、私たちがサタンに戦いを挑む時に、彼は敗北せざるを得ません。「悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」(ヤコブ4・7)、「平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。」(ローマ16・20)。神は「クリスチャンの足で」サタンを踏み砕き、クリスチャンの和解の業(2コリント5・18)を通して万物を回復してくださいます。 

 

 

 



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