ポスト・ミレはカトリックの終末論でしかない?

 

ポスト・ミレは、アウグスチヌスにおいて確立され、その後20世紀初頭までキリスト教の主流終末論として他の追随を許さなかった。

ウィリアム・ラットガーズ博士は、次のように述べている。

(アウグスチヌスは)千年間を象徴として解釈している。教会の聖徒たちは、地上で戦う兵士であり、昇天した人々は現在キリストとともに支配者である。この意味で、我々は現在千年王国の只中に生きている。教会時代は千年王国の時代と同一視されているのである(参照・『神の国』)。…アウグスチヌスは、神学思想全般の形成者、主導者の役割を果たした。彼の、神の国、教会、黙示録における千年王国の象徴などについての解釈は、千年以上もの間明白な影響力を持ち続けた。それは、高度な技術用語を駆使し、特殊な研究を進展させた現代の啓蒙的神学研究の洗礼を受けた後でもなおも強い影響力を持ちつづけている。…かくして、前千年王国説は、教会によって禁止され、排斥された。この立場が台頭したのは、後に登場した一部の分派主義者やセクト主義者の間だけであり、それらは今日に至るまで、周期的に現われては消えていった[末梢的な]運動でしかなかった。その粗野で非聖書的な形態ゆえに、前千年王国説が、教会の支配的な信仰から奨励を受けたということはなかった。(Dr. William H. Rutgers, Premillennialism in America, p.71, 1930. cited in The Millennium by Loraine Boettner, P&R, p.116; [ ]は訳者の補足。)

このような説明を読んで、ある人は、「アウグスチヌス以降主流派を形成したと言っても、カトリックの神学において主流派を占めても意味はないでしょう。」と言う。

彼は教理史について何も知らない。アウグスチヌスは、カルヴァンの思想的先祖である。カルヴァンだけではなく、多くの宗教改革者たちは、アウグスチヌスを権威として扱い、カトリックとの論争の際に彼の発言を権威として利用していた。

アウグスチヌスも、新プラトン主義の影響を受けていたことは明らかだが、それならば、プロテスタントも同じである。ピューリタンですら、新プラトン主義の影響から逃れることはできなかった。

カトリックが本格的に異端化したのは、13世紀のトマス・アキナスからである。トマス・アキナスは、ギリシヤ哲学者アリストテレスの意見を大胆に採用し、彼の思想的枠組みとキリスト教とを合体させた。それにより、キリスト教は骨抜きにされ、純粋性を失い、3世紀の間に徹底して堕落してしまった。

また、ポスト・ミレは、カルヴァンから20世紀初頭までプロテスタントのキリスト教において主流であったわけだから、この間だけをひろっても、「アウグスチヌスが確立した教えだからカトリックの思想だ」などとは言えない。

 

02/02/01

 

 

 

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