ハーザー誌奥山師の記事に対する応答(3)

 

<ポスト・ミレの聖書的証拠>

黙示録20章2節から6節までに記されている千年王国は次のような国です。

 

  1. キリストは王である(4節)。
  2. クリスチャンも王である(4節)。
  3. 王となるクリスチャンは復活した人々である(4節)。
  4. サタンは縛られ(2節)、底知れぬ所に幽閉されている(3節)。
  5. 王国は千年間続く(2-6節)。
 

ポスト・ミレは、次の理由から今が千年王国だと主張します。

 

(1)キリストは昇天された時に王になったとはっきりと言われている。

「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています」(マタイ28・18)。

「キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます」(1ペテロ3・22)。

(2)クリスチャンもキリストとともに昇天して王になったとはっきりと言われている。

「キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」(エペソ2・6)

「しかし、あなたがたは、…王である祭司…です。」(第1ペテロ2・9)

「イエス・キリストは…私たちを王とし…てくださった方である。」(黙示録1・5-6;キング・ジェームズ訳)

(3)クリスチャンは復活した人々であるとはっきりと言われている。

「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを…キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ…てくださいました。」(エペソ2・4-6)

「あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。」(コロサイ2・12)

クリスチャンは、バプテスマによって、第一の復活にあずかり、新しい人となったとパウロは述べています(ローマ6・4)。クリスチャンは、「罪に死に、そして、キリストのゆえに義に生きた者」(ローマ6・11)であると言われています。

「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされているからです。」(第1コリント15・20−22)

「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。…死人が神の子の声を聞く時が来ます。『今が』その時です。そして、聞く者は生きるのです。」(ヨハネ5・24−25)

キリストははっきりと、救われていない人間は「死人」であり、キリストを信じる時に「今」復活するといわれました。

このように、黙示録20章の「第一の復活」を「新生」と解釈してはならない理由はどこにもありません。

(4)サタンはすでに縛られているとはっきりと述べられている。

「神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました」(コロサイ2・15)。

聖書は、明らかに現在サタンは、神の軍隊に捕らえられている捕虜であると述べているのです。彼は抵抗できないように武装解除されています。サタンや悪霊どもは、キリストによってこのように「すでに」縛られているのだ、というのが聖書の主張です。

「高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた」(エペソ4・8)。

ここでも明らかにサタンはキリストによって打ち負かされて、すでに捕虜になり、その持ち物をぶん取られ、人々に分配されてしまったといわれています。

「しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。強い人の家にはいって家財を奪い取ろうとするなら、まずその人を縛ってしまわないで、どうしてそのようなことができましょうか。そのようにして初めて、その家を略奪することもできるのです」(マタイ12・25-29)。

イエスは、ここにおいてはっきりとサタンは縛られていると述べておられます。

この言葉を証明するかのように、遣わされた70人の弟子たちが、喜んで帰ってきてこう言いました。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します」(ルカ10・17)。強い人であるサタンは縛られているので、イエスの御名の権威を用いれば、悪霊ですら言うことを聞くと言われています。

これらの聖書の主張から、「サタンはすでに縛られている」ということがはっきりとわかります。しかし、私たちの脳裏には同時に次のような疑問が湧いてきます。「すでに縛られているならば、どうして現在サタンがいたるところにおいて暴れまわっているのだろうか。」と。

事実、聖書は、一方で「サタンは縛られている」と述べながら、他方で「サタンは活動している」と述べているのです。

「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです」(エペソ6・11−12)

私たちの常識からすれば、「捕虜となり、武装解除され、縛られた者がどうして支配者であり戦うべき敵なのか?」と考えられるわけです。しかし、私たちは、私たちの感覚とか常識で判断することはできません。聖書は聖書によって解釈しなければならないので、これらの個所を調和させる必要があるのです。さて、どのように調和できるのでしょうか。

それは、「サタンは確かに捕虜となり武装解除されているのだが、なおも限定的な活動を『許されている』」ということです。

事実、黙示録20章1節では、御使いがサタンを縛るための鎖を持っていたと述べられており、「縛る」という言葉’εδησενは、他の個所を見ると、必ずしも完全な抑制、完全な自由剥奪を意味していません。この言葉が使用されているマルコ5章3,4節では、ゲラサの狂人は鎖で縛られていたと述べられており、また、マルコ11章2,4節では、ろばの子がつながれていると言われています。どちらも、まったく身動きが取れない状態を述べているのではなく、鎖によって行動の範囲が限定されているということを示すのに使われています。

しかし、ある人は、「それでは、黙示録20章の『底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して』というのはどう解釈するのか、これは、明らかに完全な活動停止を意味するのではないか」と言われるかもしれません。しかし、聖書は、サタンや悪霊は、「現在封じ込められている」と教えています。

「神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました」(第2ペテロ2・4)。

しかし、同時に、ペテロは、「サタンはクリスチャンを攻撃しようと徘徊している」と述べています。

「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」(第1ペテロ5・8)。

聖書によるサタンのイメージは、「幽閉された者」であると同時に「歩き回る者」です。それゆえ、黙示録の「閉じ込められた」ことがそのまま「完全に活動できない」ことを示していると結論できないのです。聖書は聖書によって解釈するという原則を尊重するならば、私たちは、これらの2つの姿を調和させなければなりません。

それは、やはり、「サタンは現在封じ込められているのだが、限定的な活動を許されている」ということなのです。

(5)「千年」を文字通り千年と解釈しなければならない規則は存在しない。

他の聖書だけではなく、黙示録の中の数字や言葉を文字通り解釈しなければならない規則は存在しません。もし文字通り解釈しなければならないとするならば、例えば、21章にある新しいエルサレムについて、文字通り2000キロ四方の広がりを持ち、65mもの高さの城壁を持つ巨大な町が文字通り「天から下ってくる」ことを主張しなければならなくなるのです。また、20章において、文字通りの竜が、文字通りの鎖によって縛られることを期待しなければならなくなります。

カルヴァンは、このように「千年」を文字通りの千年間と解釈するプレ・ミレの立場を「あまりにも幼稚すぎて反論する値もない」と述べています。

「すぐに、キリストの支配を千年間に限定する千年王国論者が現われた。彼らの作り話は、あまりにも幼稚すぎて反論する値もないのである」(キリスト教綱要第3巻25・5)。

そして、この千年とは、この地上においてサタンと戦う教会の時期と考えています。

「ここで言われている千年間は、…この世において戦う教会を待ちうけている様々な困難を意味している。」(同上)

このカルヴァンのポスト・ミレ(またはア・ミレ)的千年王国観は、アウグスチヌス以来、正統的な教会が一貫して取り続けてきた立場であり、19世紀初めまでこの解釈を否定する人々はほとんど皆無でした。16世紀のアナバプテストが、キリストが文字通り千年間地上において支配するという説を唱えましたが、御存知のように、彼らは宗教改革者たちによって徹底して批判されたため、彼らのプレ・ミレも同様に正統的教会の歴史の中から消えて行きました。17世紀になって少数のプレ・ミレが現われましたが、18世紀のリバイバル運動や海外宣教の主流であったピューリタンたちに否定され、大きな勢力となることはありませんでした。スコットランドの大説教家デイビッド・ボウグは、19世紀のはじめに、「プレ・ミレは、教会史において異説にとどまってきた」と述べました。

 

<プレ・ミレの歴史>

プレ・ミレが今日のような勢いを得るようになったきっかけは、1820年頃にイギリスで平信徒預言者ハトレー・フレールがプレ・ミレに基づく預言を開始したことにあります。その預言は、大衆伝道者として圧倒的な人気を誇っていたスコットランド人エドワード・アーヴィングの心を捉えました。アーヴィングは「栄光と威厳の中でのメシアの来臨」という本を1827年に出版し、プレ・ミレの考えを公にしました。

 彼の影響は、カルヴァン主義が根強い地元スコットランドではさほどでもありませんでしたが、イングランドでは大きな成功を収めました。エドワード・グレズウェルやE・B・エリオットといった学者が現われ、彼らの影響でJ・C・ライルがプレ・ミレになりました。また、アーヴィングがアイルランドに伝道旅行に行った際に協力者となったパワーズコート夫人の自宅で開かれたパワーズコート・コンファレンスに、J・N・ダービーがいました。ダービーは強力な伝道者であり、82年の生涯の中で、40冊の著作を残し、1,500もの集会を世界中に作りました。彼の影響を受けた一人がヘンリー・モーハウスであり、モーハウスの影響を受けたのが、歴代屈指の伝道者D・L・ムーディーでした。ダービーが与えた影響の中でも特筆すべきなのは、C・I・スコフィールドでした。スコフィールドは、その有名なスコフィールド・レファレンス・バイブルによって世界中の人々の心にプレ・ミレを植え付けました。スコフィールド・バイブルはこれまでに全部で300万冊以上も出版されています。

 アーヴィング自身は、教会から除名されて、その名を知る人々はほとんどいなくなりましたが、そのプレ・ミレは、世界中のキリスト教会を席巻し、今日に至っています。

プレ・ミレがキリスト教の中で大きな勢力として現われたのは、2000年の教会史において、この180年間のことであり、それがスタンダード化したのはやっと20世紀になってからのことなのです。それまで、少数の初代教父を除けば、プレ・ミレは宗教改革以前でも以後でも「異説」または「珍説」として片付けられ、正統的な教会からは相手にされていませんでした。

 

<ポスト・ミレと世界宣教>

また、当然のことながら、世界宣教においても、20世紀の初頭まで、その主役はポスト・ミレのカルヴァン主義者たちが担っており、プレ・ミレの人々が主導的な立場に立つようになったのはごくごく最近のことです。カルヴァン派がその神学のゆえに伝道してこなかったなどということがありえないのは、歴史を見れば一目瞭然です。

まず世界宣教について最初に語った宗教改革者は、ジャン・カルヴァンでした。彼自身が1556年に2人の宣教師をブラジルに派遣しています。1 

カルヴァンのポスト・ミレ信仰は、ジュネーブ教理問答の第268-270問において顕著に現われています。「問:御国の到来のためにあなたはどのように祈るべきか。答:我々は次のように祈るべきである。すなわち、主が日増しに信じる者の数を増やし、毎日恵みの賜物を彼らの上に注ぎ、ついに、主が彼らを完全に満たしてくださるように。主が、その真理をますます明るく照り輝かせてくださるように。主が御自身の正義を明らかにし、サタンと彼の国の暗やみを混乱に陥らせ、すべての不義を消し去り、破壊してくださるように、と。問:このことは今日すでに起こっているのだろうか。答:しかり。部分的には。しかし、我々は、それがたえず成長しつづけ、発展し、ついには、裁きの日において完成に至るように願わねばならない。…」

カルヴァンは、御国は歴史において発展しなければならず、その発展を実現するのはクリスチャンの責任であると考えていました。チャールズ・チェイニーは、このようなカルヴァンのポスト・ミレ的見解こそ、カルヴァン主義者を海外宣教に駆り立てた主動因であると述べています。2

そのとおりに、カルヴァンの後継者たちは宣教に乗り出して行きました。マウルス・ガルムは、現代のプロテスタント世界宣教運動は、オランダのカルヴァン主義者から始まったと述べています。3  ドルト会議の主要なメンバーであった、ギズベルト・ヴォエティウス(1589-1656)は、カルヴァン派正統主義と、改革派敬虔主義の宣教活動には密接なつながりがあると述べ、宣教学に関する著作を出しました。4 

さらに、宣教のスピリットは、17世紀から19世紀にかけての初期のプロテスタント宣教会に受け継がれました。1649年の「ニューイングランド協会」、1762年の「北米インディアンキリスト教布教協会」、1787年「北米インディアン等福音宣教協会」、1787年「異教徒福音宣教協会」、1792年「バプテスト宣教会」、1795年「ロンドン宣教会」、1799年「教会宣教会」、さらに、1796年以降出来た初期アメリカの諸宣教会など、近代の世界宣教のパイオニアはみなカルヴァン主義ポスト・ミレに立っています。

また、ドイツの敬虔派も、カルヴァン主義ポスト・ミレの影響によって宣教の働きを開始しました。敬虔主義者フィリップ・ヤコブ・シュペーナーやアウグスト・ヘルマン・フランケらによる世界宣教の第一のリバイバルは、カルヴァン主義ポスト・ミレの影響に触発されたものでした。5 

アメリカ宣教運動における最大の指導者と呼ばれるルーファス・アンダーソン(1796-1880)は、カルヴァン主義ポスト・ミレ信仰の持ち主であり、彼は、ローランド・アレンやロバート・E・スピーア、ジョン・ネヴィウス、アブラハム・カイパーなど世界宣教の主だった指導者たちに計り知れない影響を与えました。6

奥山師はケアリの宣教を妨害したのは、ライランド博士などカルヴァン主義者だったと述べておられますが、当のケアリ自身が強烈なカルヴァン主義者であり、彼の指導によるセランポール宣教会やバプテスト宣教会そのものが強固なカルヴァン主義ポスト・ミレに基づいていたこと、また、ケアリのインド宣教をイギリス本土で支えていたのがライランド博士自身であったことを見れば、事の真偽は日を見るより明らかです。また、博士の子息ジョン・ライランドJr.は、父親がケアリに反対したというこの有名な話に疑問を呈しています。7

日本の宣教史に目を移しても、カルヴァン主義者の宣教の姿勢は明白です。日本最初のプロテスタントの教会は米国オランダ改革派教会バラの手によるものですし、日本最初のプロテスタントによる新約聖書翻訳はカルヴァン主義者によります。日本のプロテスタント・キリスト教の基礎を築き、明治期の日本社会に絶大な影響を与えた人々(シモンズ、ヘボン、フルベッキ、ブラウンら)はカルヴァン主義者です。

諸外国、例えば、今日の韓国や台湾における長老派の絶大な勢力を見ても、カルヴァン主義者がこれまでどれだけ宣教に対して熱心であったかは日を見るより明らかでしょう。

最後に、奥山師が「ポスト・ミレはユダヤ人のパレスチナ復帰を主張してきた」ことなどあり得ない、文献を見せて欲しいと言われた件についてですが、1649年ピューリタン革命の最中に、ポスト・ミレ神学者ジョン・オーウェンは、下院議院において次のように演説しました。「人々は、まことの栄光を求めて、何世代にもわたって恵みの御座の前に祈りを捧げてきた。[神は]この幾百万もの祈りに答えて、いにしえの御民をその故国に帰し、完成された異邦人と合体して一つの群れとされるだろう。」8  また、かつてオーウェンの教会の会員だったサミュエル・リーは、1677年に出版された有名な著書 "Israel Redux" において、「ユダヤ人はいつの日かパレスチナの地に帰ってくるだろう」と述べました。9

 

  1. Henry R. Van Til, The Calvinistic Concept of Culture(Grand Rapids, Mich.: Baker Book House, 1959) p. 93; Louis Igou Hodges, Reformed Theology Today (Columbus, GA: Brentwood Christian Press, 1995) pp. 101-104.)。
  2. Charles L. Chaney, "The Missionary Dynamic in the Theology of John Calvin," Reformed Review 17 (Holland: 1964) pp. 24-38.
  3. Maurus Galm, Das Erwachen des Missionsgedankens im Protestantismus der Niederlande (München: Franz Xaver Seitz and St. Ottilien: Missionsverlag St. Ottilien, 1915) cited in Thomas Schirrmacher's thesis, "William Carey, Postmillennialism and the Theology of World Missions".
  4. Jan. A. B. Jongeneel, "Voetius' zendingstheologie, de eerste comprehensieve protestantse zendingstheologie", De onbekende Voetius, ed. J. van Oort et. al (Kampen, Netherlands: J. H. Kok, 1989) pp. 117-147. cited in Thomas Schirrmacher's thesis, "William Carey, Postmillennialism and the Theology of World Missions".
  5. Philipp Jakob Spener, Theologische Bedencken, 4 Parts in 2 Volumes, Vol. 3, (Halle, Germany: Verlegung des Waysen-Hauses, 1712-1715), pp. 965-966.)
  6. R. Pierce Beaver, "The Legacy of Rufus Anderson," Occasional Bulletin of Missionary Research 3 (1979) pp. 94-97, here pp. 96-97.: Jan Verkuyl, Contemporary Mission: An Introduction, (Grand Rapids: Wm. B. Eerdmans, 1978) pp. 187 on Kuyper and the Netherlands.
  7. John Ryland, Life of Andrew Fuller, 1816, p.175 cited in The Puritan Hope, (Edinburgh: Banner of Truth, 1971) by Iain Murray.
  8. Iain Murray, Puritan Hope, (Edinburgh: Banner of Truth, 1971), p. 100.
  9. Peter Toon, Gods Statesman: The Life and Work of John Owen (Grand Rapids, MI: Zondervan, 1971), p. 152.

 

 

 

 



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