アメリカは「世界の警察官」か?

 

<ご質問>

今回の質問を書こうと思います。現在、アメリカ合衆国とアフガンが戦争をしているのですが、その正当性の根拠としてローマ書134が引き合いに出されます。つまり、現在のアメリカは神から委託された権力を行使して悪を裁いているという根拠としてローマ書が用いられているということです。この聖句を、国内の犯罪抑止や防衛戦争の正当性だけではなくて、共産主義やテロリズムとの抑止や戦争の正当性の根拠とみなすことができるのでしょうか?また、ローマ書134の他にも防衛戦争以外の戦争を正当化する聖句というものは存在するのでしょうか?

 

<お答え>

ローマ134 は、「国家の」権威者についての教えであって、国際社会の問題を扱っている個所ではありません。なぜならば、ここで言われている「権威者」には「貢」を収めよとパウロは述べているからです。

「権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。…権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです。…あなたがたが貢を納めているのもそのためです。…貢を納めるべき人には貢を納め…なさい。」(ローマ134-7

聖書では、神は、正義と安全と秩序をもたらすために国家という制度を定められました。国家は、「悪人を罰する」ために警察権力を行使する責任があります。それと同時に、国民は税金を収めてそのような活動を支えなければなりません。

しかし、国家間においては、このような「警察行為と納税」の相互関係はありません。聖書は、そのような関係を教えている個所はありません。どこかの国が「世界の警察官」になるべきで、その国に「税金」を収めなければならない、と書いてある個所はありません。

それゆえ、アメリカが「世界の警察官」になるべきだという意見を裏付けることはこの個所からできません。

アメリカが世界の警察官となるような新世界秩序を自ら作ろうとしているのは、近代合理主義のエリート主義に基づく「世界連邦政府」構想があるからです。(*

アメリカの最上層部の人々は、ヘーゲル主義に基づいて世界を統一し、アメリカを中心に新世界秩序を作ろうとしています。

 

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聖書は、「反中央集権主義(decentralizationalism)」を教えています。「人間社会集団は、トップダウン式に、上層部の命令で市民が動いていくべきである」というような、社会主義的考えは、反聖書的です。出エジプト記において教えられている社会組織は、ボトムアップ方式であり、下層部において問題がある場合、一段上に上訴し、それでも解決がつかない場合はさらに上訴し、それでも解決がつかない場合は、トップのモーセのところに問題をもっていけとされています。

あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人々、不正の利を憎む誠実な人々を見つけ出し、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民の上に立てなければなりません。いつもは彼らが民をさばくのです。大きい事件はすべてあなたのところに持って来、小さい事件はみな、彼らがさばかなければなりません。あなたの重荷を軽くしなさい。彼らはあなたとともに重荷をになうのです。もしあなたがこのことを行なえば、――神があなたに命じられるのですが、――あなたはもちこたえることができ、この民もみな、平安のうちに自分のところに帰ることができましょう。」モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、すべて言われたとおりにした。モーセは、イスラエル全体の中から力のある人々を選び、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民のかしらに任じた。いつもは彼らが民をさばき、むずかしい事件はモーセのところに持って来たが、小さい事件は、みな彼ら自身でさばいた。(出エジプト記1821-26

ボトムアップ式の秩序は、政治で言えば民主主義であり、経済であれば市場経済主義です。個人のイニシアチブが尊重されています。

トップダウン式の秩序の背景には、「エリートに対する信頼」があります。エリートが指導すれば、社会はうまく機能すると考えるわけです。しかし、聖書は「エリートであれ、一般市民であれ、人間はすべて罪人であるから、信頼できない。エリートに過大な権力を持たせると、必ず独裁になり、市民の権利は損なわれる。だから、個人や制度は独立して互いにチェックを働かせ合い、裁き合う制度が必要である」と教えています。それゆえ、最初に神が律法の中において指示された社会秩序においては、王は立てられていませんでした。サウルの時代までイスラエルには王がありませんでした。民衆の要請によって、王が立てられましたが、神は、それを反逆であるといわれました。

(民は)彼に言った。「どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」 …主はサムエルに仰せられた。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。(第1サムエル記857

そして、神を退けて王を立てることの代償は、自由の制限と搾取であると警告されました。

…今、彼らの声を聞け。ただし、彼らにきびしく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ。…あなたがたを治める王の権利はこうだ。王はあなたがたの息子をとり、彼らを自分の戦車や馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。自分のために彼らを千人隊の長、五十人隊の長として、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や、戦車の部品を作らせる。あなたがたの娘をとり、香料作りとし、料理女とし、パン焼き女とする。あなたがたの畑や、ぶどう畑や、オリーブ畑の良い所を取り上げて、自分の家来たちに与える。あなたがたの穀物とぶどうの十分の一を取り、それを自分の宦官や家来たちに与える。あなたがたの奴隷や、女奴隷、それに最もすぐれた若者や、ろばを取り、自分の仕事をさせる。あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがたは王の奴隷となる。(第1サムエル記87-17

そして、このような反逆の結果として被る悲劇に対して神は責任をとらないと宣言されましたが、民はそれでも王を立てよと強く迫りました。

…その日になって、あなたがたが、自分たちに選んだ王ゆえに、助けを求めて叫んでも、その日、主はあなたがたに答えてくださらない。」 それでもこの民は、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。」(第1サムエル記818-19

もともと神はイスラエルに「個人個人が神の前に律法を守り、自立することによって成り立つ、秩序と自由のある共同体」を与えられました。しかし、イスラエルは神の律法を破ったため、悪がはびこり、秩序が破壊され、国内は混沌化しました。それでも、イスラエルは、神に対して悔い改めることによって秩序を回復することを選びとらず、むしろ、自由を投げ捨てて、王を立て、王によってトップダウン式に支配されることのほうを選び取りました。

 

02/01/17

 

 

 



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