終末論論争はクリスチャンの信仰にとって基本的な問題である

 

奥山師は、プレ・ミレ(前千年王国説)で、私はポスト・ミレ(後千年王国説)です。

 

プレ・ミレは、千年王国は、キリストの再臨の後に来ると考えますので、現在、クリスチャンは王ではなく、それゆえ、世界を変えることは不可能なので、世界については放っておいて、ただ伝道にいそしめばよいということになります。

 

ポスト・ミレは、キリストが昇天され神の右の座についたときから、千年王国が始まっており、クリスチャンはキリストとともに昇天している王なので、クリスチャンが世界に働きかけるときに、世界は変わると考えます。世界のあらゆる領域を神の規範に基づいて変えて、キリストが命じられた「世界のすべての国民を弟子とする」ことが実現すると信じます。また、神がアダムに命じた「被造物支配」の命令も実現すると信じます。

 

前者は、アルミニウス派――福音派の大多数――に多く、後者は、カルヴァン派系です。(現在のカルヴァン派の大勢は、無千年王国説ですが。)

 

これらのいずれを取るかによって、クリスチャンの日常生活は大きく影響を受けます。

 

前者は、世界を変えることは不可能なので、この世において価値のあるのは伝道だけになるので、伝道の成果しか、永遠の報いにおいてカウントされないと考える傾向が強く、後者は、伝道の成果だけではなく、個々人の職業や仕事を神のために誠心誠意行えば、永遠の報いとしてカウントされると考える傾向が強いのです。

 

ある牧師は、常々こう言っていました。「皆さん、この世の仕事についても結局永遠の世界においては何の報いもありません。しかし、皆さんが献身して、伝道者や牧師になって、人を救いに導くことによって、あなたは天に宝を積むことができるのです。」

 

このように教えられると、この世の仕事をしても無駄だと考えるようになり、若い人々は、大学に進学することや仕事をやめて伝道師や牧師になります。

 

私も、「世界の終末が近いのだから、大学や就職など辞めて、伝道者にならねば。」とよく考えたものでした。

 

こうなると、ほとんどオウム真理教と同じように、出家主義になってしまって、俗世を敬遠する傾向になり、特殊な集団意識が生まれ、キリスト教は健全さを失っていきます。社会や現実との接点を失い、クリスチャンは、「世の光、地の塩として、社会を改革する」という意識が消えていきます。聖書全体の主張と大きく乖離することになります。

 

こういったことは、プレ・ミレに立った私自身が、長期的な人生設計というものを立てられなかったという経験から、私にとって大きな問題でした。

 

ポスト・ミレに立つことによって、これらの問題はきれいに解決できます。神は、クリスチャンに対して、世界を弟子とせよと命じておられるのですから、私は、ポスト・ミレが正しいと考えます。

 

プレ・ミレのような厭世思想は、聖書全体の主張と矛盾するので反対の意見です。

 

 

 

 



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