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前千年王国説のキリスト教は滅びる

 

 千年王国説の問題は、人間にとって根源的である。

 

 なぜ自分は生まれたのか。なぜ生きなければならないのか。どのように生きなければならないのか。自分の行為の結果はどのようなものになるのか。自分の行く末はいったいどこなのか。

 

 なぜ社会は存在するのか。歴史はどこに向かっているのか。歴史の意味はなにか。

 

 キリストが昇天されてから、世界はキリストの国になった。

 

 「わたしは、天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」

 

 それゆえ、個人も社会も歴史も、キリストの主権を中心に推移している。

 

 前千年王国説は、キリストが世界の実質的主権者になるのは、再臨後であるとする。だから、現在キリストは世界の王ではない。

 

 世界の王でなければ、人間が善を行おうが悪を行おうが、結果は予測できない。この歴史の中において裁く者がいない、もしくは、いたとしてもキリスト以外の者であるならば、善には報いが、悪には刑罰が、という因果関係は成立しない。

 

 いや、むしろ、前千年王国説は、歴史はサタンの支配に終わるとする。これから終末に向かって、反キリストの勢力が増大し、クリスチャンは迫害されるとする。

 

 これは、実質的に「サタン崇拝」である。

 

 「いや〜、最後にキリストが再臨して、悪の勢力を滅ぼすから、キリストの主権を否定しているのではない。」といっても、歴史のプロセスにおいて、「善の勝利」を否定しているのであるから、サタン崇拝である。

 

 歴史のプロセスにおいて、歴史内において、神の報いを期待できないのであれば、「歴史内においては何をやっても無駄だ。」とあきらめてもおかしくはない。

 

 人にあきらめの心を起こさせるものがどうして神の教義であるといえるだろうか。

 

 聖書は、繰り返し、「信仰がなければ神に喜ばれることはない。」と言っている。カナンを征服できると信じたヨシュアとカレブだけが約束の地に入ることができたことを思い出していただきたい。

 

 キリストは、「わたしは天においても地においても、一切の権威が与えられています。だから、行って、すべての国民をわたしの弟子としなさい。彼らにバプテスマを授け、わたしが命じたすべてのことを守るように彼らに教えなさい。」と言われた。

 

 「歴史のプロセスにおいて、この命令はけっして実現することはない。」と説く教義がどうして神からでたものであるといえるだろうか。

 

 「行け。」と言われたのに、「いや、だめです。不可能です。」と答える教義がどうして神から出たものであるといえるだろうか。

 

 「いや、だめです。不可能です。」と言ったイスラエル人たちは、40年間荒野をさまよった末に、そこで死に絶えた。

 

 前千年王国説のキリスト教に未来はない。

 

サタンが歴史の主であるとするキリスト教を神は滅ぼされる。

 

 

 



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