マゾヒズムの本質

 

マゾヒズムの本質は、罪責感である。
人は、神の似姿なので、倫理的存在であり、行為に対する倫理的裁きを求めている。
ある行為を行えば、肯定的・否定的評価が伴なうことを潜在意識において求めている。
例えば、善を行えば、報いが、罪を行えば、裁きがくることを期待している。
古来、水戸黄門のシリーズなど「勧善懲悪もの」の芝居が人気があるのは、このためである。

しかし、ヒューマニズムが世界の支配宗教となってから、世界には自分の行為に対する審判者がいなくなってしまった。善を行っても、悪を行っても、それを超自然的に裁く神が不在になってしまった。

そのため、人間は、実存的フラストレーションを感じるようになった。

善を行っても、それに対する肯定的評価を期待することもできず、また、悪を行っても、それに対する否定的評価を期待することもできなくなった。

その結果、人間は、人為的審判を採用するようになった。自分の行った悪に対する直接の結果を自分で作り出すようになった。それが、マゾヒズムである。

甘やかす両親から裁きや懲らしめを受けなかった子供の心には、この裁きに対する本質的な求めがある。彼らは、自分をしかってくれる権威を求めている。しかし、甘やかす両親は、この実存的フラストレーションにこたえることに失敗している。だから、彼らは、代替的権威を求める。

否定的な言葉を受けること、肉体的刑罰を期待することは、彼らの本質に「自分の悪行に対する報いが欲しい」という欲求があるからだ。

子供に甘い親が増えている昨今、日本においてマゾヒストが増加しているのには意味がある。

 

 

02/05/17

 

 

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