霊的現実を物質化せよ

 

プレ・ミレは、人間が文化命令を成就する必要はないと教える。

「地上に御国を作るのは、再臨のキリスト御自身であって、人間ではない。人間は、一人でも多くの人を天国に送るために福音を伝えるだけでよいのだ。」

これが、プレ・ミレの主張である。つまり、キリスト教の範囲を「伝道」という面に限定する。文化とか文明の変革など念頭にはないのだ。

しかし、イエスは、はっきりと、「御心が、天において行われているように、地上においても行われるように」祈れ、と命じられたのだ。

これは、プレ・ミレを破壊する決定的な聖句である。

つまり、イエスは、「天における現実を、地上において表せ」と命じておられるのだ。

「霊的現実の物質化」こそが、人間が創造された目的なのだ。

神がどのような御方であり、神の御支配がどのようなものであるかを、人間は、この物質世界において表現しなければならないのだ。

だから、行いのない信仰は、死んだ信仰なのだ。

道端で倒れていく貧しい人を見て、「元気で暮らしなさい」と言っても、何にもならない。いくら教会の牧師や役員をしていても、具体的に、目に見える形で愛の業を行わないならば、その信仰は死んでいるのだ。

だから、再建主義は、単なる教理上の改革で終わってはならない。

再建主義を受け入れた人々は、必ず、行動で愛を実践するはずである。

ラッシュドゥーニーの宣教団体カルケドンは、バルカン半島の人々に物質的援助をしている。以前、ジョン・アプトンの指導のもとで、多くのルーマニアの子供たちを米国に招いて手術を施したり、里親を探していた。ジョージ・グラントは、森本先生のように、ホームレスの人々のために食事や様々な援助活動をしている。ゲイリー・ノースの教えは、反中絶運動を加速させた。

日本における再建主義のある教会では、養子縁組をして身寄りのない子供たちを養っている家族が沢山ある。

キリスト教が愛を失って具体的に神の愛の素晴らしさを証ししないならば、一体何の意味があるのだろう。ただの、同好会、自己満足の集団でしかなくなってしまう。

キリストの愛を実践する者となりたいものだ。

 

 

 

01/10/01

 

 

 

 

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