右翼しか選択の余地はないのか?

 

 石原都知事が靖国神社に公式参拝する。

 日本という国の悲劇は、歴史をきちんと見据え、政治についてしっかりとした見識を持つ政治家をこれまで持つことができなかったということにあるのではないだろうか。

 偶像礼拝の民には、必ず破滅がやってくる。

 彼が都民を健全に指導できるためには、偶像礼拝から離れることが必要である。

 キリスト教の背景を持つヨーロッパやアメリカと違って、戦前・戦後の日本には、社会や人生を導いてくれる上等な思想が欠如していた。戦後の自由主義と民主主義がほぼ破綻していることは誰の目にも明らかである。では、それらに代わる指導的思想は何かということが今緊急の課題なのであるが、それを国家神道に求めるならば、また元の木阿弥である。

 

 相対主義の自由主義・民主主義だけでは社会や人生を正しく営むことは不可能である。

 相対主義は、「何が善であり、何が悪であるかを決定する基準はこの世界に存在しない。だから、その時時の社会の構成員の主観にしたがって善悪を決定してよい。」とする立場である。

 つまり、社会全体の進路は、テレビの視聴率のような「不確かなもの」によって左右される、とする立場なのだ。

 それに対して、戦前の神道教育を復活しても、またぞろ日本人が国家の奴隷となるだけである。

 日本の政治家には、「相対主義」と「右翼」の二つしか選択肢がないのだろうか。

近代国家成立の大きな部分を、キリスト教徒による自由への戦いが占めていたという事実を知っている政治家はいないのだろうか。

 

 

 



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