地の塩、世の光にふさわしい終末論

 

 日本のクリスチャンの文書伝道において、いのちのことば社及び聖書図書刊行会は、非常に大きな力を持っており、その影響力は絶大である。

 たしかに、この出版社が神の御国の発展に大きく貢献してきたのは事実であり、私も大きな益を受けてきた一人であるが、残念ながら、終末論に関しては、ディスペンセーショナリズムに大きく傾いている。ハル・リンゼイの著作や、ルネ・パーシュの『再臨』、エーリヒ・ザウアーの諸著作は、前千年王国説に立っている。私の友人が、デービド・チルトンの「大患難」の出版をもちかけたが立場が異なるということで拒否された。

 さて、聖書全体のテーマから見ても、また、個々の個所の釈義面から見ても、ディスペンセーショナリズム前千年王国説は、大きな矛盾をかかえており、この立場を取り続けることは、神の御言葉を曲げ、クリスチャンから希望を奪い、神の国の発展を停滞させることになるので、立場の転換が必要である。

 「この地上の歴史においてクリスチャンの社会改革は無意味であり、必ず失敗に終わる」と言う未来観を宣伝することは、地の塩・世の光であるはずのクリスチャンから塩気と光を奪い、この世を腐敗と闇の中に放り込む結果となる。

 事実、ハル・リンゼイの『地球最後の日』は、全世界のクリスチャンを「現実逃避」の弱虫にし、再臨を待望するだけのカルト教徒に等しいものに変えてしまった。

 これまで様々な国のクリスチャンと会ってきたが、ロシア人であれ、南アフリカ人であれ、フィジーのクリスチャンであれ、口を揃えて、もうすぐ反キリストが世界を征服し、大患難が起こるだろう、と言う。

 私の知人の教会では、「御注意!私たちは突然消えるでしょう。」というステッカーを作って車のバンパーに貼っている。

 携挙を否定するわけではない。携挙はちゃんと聖書に書かれている。

 しかし、携挙の前にクリスチャンにはなすべき課題がある。

 「全世界の国民を弟子としなさい。バプテスマを授け、私が命じたすべてのことを守るように教えなさい。」という命令を差し置いて、逃げることしか考えなければ、どうして携挙が起こるだろうか。

 キリストの再臨は、花婿であるキリストが花嫁である教会を迎えにくる結婚式である。

 花嫁が整えられていないのに、どうして花婿が迎えに来るであろうか。

 もっとも、三度の離婚を経験したハルにとっては、異常なことではないのかもしれないが・・・。

地の塩であり、世の光である者が、地から塩気をもらい、世から光を与えられている現状を打破することを真剣に考えなければ、教会には未来はない。

 

 

 



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