スコラとプロテスタント

 

 よく、「キリスト教は科学者を迫害した。」とか、「教皇は進化論を認めた。キリスト教は進化論に負けたのだ。」などと言う人がいるが、法王の権威を認めているのはカトリックだけであって、ローマ・カトリック教会以外の人間に、「法王は…」と言っても、「誰ですか?」と言われるだけである。キリスト教について語るには、スコラとプロテスタントの違いをよく理解しなければならない。理解していないとまったく見当違いのことを言うことになるので注意が必要である。

 

 中世スコラ学とプロテスタントは、天と地ほどの違いがある。

 スコラ学は、アリストテレスの科学観を受け継いでおり、聖書から大きく外れてしまった。中世のカトリック教会は、それゆえ、聖書の思想というよりも、ギリシャ思想に大きく傾いていた。

 

 カトリック教会は、自然を見るときに、アリストテレスのように、半ばアニミズムのような自然観を抱いていた。事物は、形相と質料より成り立ち、物体そのものにあたかも心があるかのように考えていた。

 

 物質は劣等で、霊は高等であるという二元論的考えから、より物質から離れ、純粋な霊に近づくにつれて高等になると考えたので、岩石→植物→動物→人間→天使→神という順番で高等になっていくとした。

 

 科学の方法は、アリストテレスの意見から演繹的に得ようとしたので、科学は思弁的な言葉遊びになっていった。針の上に天使が何人乗るか、といった議論がまじめに行われた。

 

 さて、中世カトリックは、このようにキリスト教の外貌を持つギリシャ思想に他ならず、科学の認識論の面においても、キリスト教の教義の面においても、アリストテレス的汎神論に毒され、迷信に陥ったため、二つの立場の人々から批判されるようになる。

 

 (1)近代の経験科学を提唱した人々から、知識の正しい認識の方法は、事象そのものを見ることから始まらねばならない、と。

 (2)宗教改革者たちから、キリスト教は、ギリシャ思想を排除し、聖書啓示に立ちかえるべきである、と。

 

 それゆえ、宗教改革と近代科学は、ローマ・カトリックのアリストテレスの世界観、認識論に対する批判という意味において共通の歩みをしたのであり、それゆえ、近代科学対スコラ主義という図式は成立しても、近代科学対キリスト教という図式は成立しない。

 

 むしろ、プロテスタントは、経験科学を強力に推進した。

 カルヴァンは、「自然については、他の書物を。」と述べ、ローマ・カトリックの演繹論を否定し、聖書を科学の教科書として扱うことを拒否した。(以下、http://www.path.ne.jp/~millnm/scich.htmlより引用)

 

 近代科学の方法論の確立者であるF・ベーコンは、フランス人のユグノーとして著名なベルナール・パリシーを通じてカルヴァンの影響を受けていた。著書において、彼は、聖書を魂に関する知識の源泉とし、自然を神の被造世界の知識を得る源泉として描き、人間は神によって地を従えるために創造されたというカルヴァン主義の「文化命令」の教義を述べている。

 コペルニクスもクリスチャンであり、ガリレオは彼の地動説の影響を受け、カトリック教会から裁判にかけられるわけで、科学対キリスト教という単純な図式があるわけではない。

 ケプラーは、その師、ミヒャエル・メストリン同様、徹底したコペルニクス主義者であり、彼がガリレオに宛てた手紙にはカルヴァンの影響が色濃く出ていた(C.Baumgardt, Johannes Kepler, Life and Letters, London 1951)。

 アルフォンス・ドゥ・キャンドルは、『科学と科学者の歴史』(1885)の中で、ヨーロッパの過去二百年の科学者は圧倒的にプロテスタント信仰を背景にしていたと述べている。ブラッセル自由大学のジャン・ペルスネア教授は、16世紀の南部ネーデルランド(ベルギー)でも、当時の科学者の大部分が、十万ほどしかいなかったプロテスタントのなかから輩出したことを証明した。アメリカの社会学者ロバート・K・マートンは、1938年に、1663年にイギリス王立学会を創立した人々の65パーセントが人口のごく一部を占めるピューリタンの信仰に立つことの意味を解明した。S・M・メイソンは、これら研究をふまえ、『科学の歴史・上』で、「近世ヨーロッパの大科学者のなかで、プロテスタントがカトリックを凌駕していることには、三つの主なる原因があげられるであろう。第一は、初期プロテスタントの心性と科学的態度との類縁、第二に、宗教的目的達成のための科学の使用、第三に、プロテスタント神学の宇宙的価値と初期の近代科学のそれとの一致である」とした。

 哲学者下村寅太郎は、精密科学の理念の精神史を追い、その『近代の科学的心情とプロテスタンティズム』において次のように述べている。

 

 「近代科学が特に西欧的所産である限りキリスト教との関連を無視することはできない。」また、「結果に於ては近代の科学も確に宗教から独立の他者であるが、歴史的には、特に精神史的には、本来的に対立的なものとしてではなく、寧ろ共同の精神の所産であり、共同の源泉からの分化である」「精密性の追究に於る真摯執拗な、殆ど厳粛ともいふべき態度、更に何よりも、かかる仕事を trivial とせず、当然として、義務として厭はない心情は抑々何によるのであろうか。・・・『(科学的研究は)もし神の法則や属性の明証を与へるものでないならば内面的価値のないものである』と言ったのはニュートンである。・・・科学者のこれら性格的な心情の由来(は)、近代の、寧ろ近代的な、宗教意識−−プロテスタント的心情以外に認め難いやうに思はれる」と述べ、さらに、「我々の問題に対して直接手掛かりとなるプロテスタント的精神はルターのそれよりもカルヴィニズムのそれである」と言う。

 

 近代科学の成立にいかにカルヴィニズムの精神が関与しているかについて、さらに次のように述べている。

 

「カルヴィニズムが直接に我々の問題と結びつくことは・・・カルヴィンの神学思想そのものの中に理由がある。・・・プロテスタントの神学思想の根本原理は、宗教生活と人間の魂の救いに関する一切のものに於ける人間の絶対的な神のみへの依存にある。しかし、特にカルヴィニズムの神学の特色となるものは、この神との結合を宇宙論的規模に於いて徹底せしめた所にある。ここにカルヴィニズムの自然に対する積極的関心の通路と動機とが認められる」。そして、具体的に、17世紀オランダの大学における科学研究に触れてから、「ライデンでもユトレヒトでも教授も学生もカルヴィニズムたることが要求された。即ち、・・・積極的な言い方をすれば、カルヴィニズムの立場から、或いはカルヴィニズムを通して、近代科学が営まれていたということである。近代科学は必ずしも宗教から独立し宗教に対立することに於いて成立したのではないということである」とする。

 

 資本主義社会の生成と技術の発展においてカルヴィニズムがいかに中心的な役割を果たしたかについて述べたマックス・ウェーバーを待つまでもなく、このように、プロテスタンティズムが近代科学の発展において主要な動因であったことを否定することはできないだろう。

 

 

 

 

 



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