聖書の根本原理2

 

聖書の根本原理2:

 キリストにつながった人々、すなわち、キリスト族(クリスチャン)は、キリストの使命を自分の使命として働こうとします。

 その使命とは、「地を従える」(創世記1・28)ことです。キリストは全世界の王となるために、来られたのです。

 キリストは、「天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています」(マタイ28・19)と言われたので、現在、キリストは世界の王です。しかし、現実の世界は、キリストを王として迎えていません。つまり、キリストは、「法的には」王ですが、「実際的には」王ではありません。

 これは、例えば、敵国の敗戦が決定して、すでに全土がこちらの主権の下に「法的に」入っているにもかかわらず、敵軍の一部がしぶとく抵抗を続けているようなものです。キリストは、十字架上でサタンに勝利して、法的にサタンはすでに敗北しているのですが、その残党がまだしぶとくゲリラ戦を行っているようなものなのです。

 私たちクリスチャンは、キリスト族の兵士として、サタンの残党どもを掃討するために召されたのです。

 世界からサタンの勢力を一掃し、あらゆる国民をサタンの陣営から解放し、キリストの陣営に引き込むために働かねばなりません。

 それは、御言葉による宣教によります。キリストは、諸国民を弟子とする方法として、「バプテスマを授けること」と「わたしが命じたことをすべて守るように教えること」という2つを挙げておられます。

 礼典と教育こそが、神の御国の拡大の方法です。けっして武力や強制によってはなりません。

 全世界に出て行って、福音を伝え、諸国民にキリストの命令を守らせるべく働くことがクリスチャンの使命であり、ただ単に天国へのキップを手に入れて、それから後は、再臨を待つというような、受身の姿勢では足りません。

 すべての国民が弟子となったときに、神がアダムに与えられた契約は成就し、キリストの御業は完成します。

 キリストは最後の締めをするために、天から降りてこられ、万物を父なる神に献上します(キリストは大祭司なのです)。

 歴史は終わり、永遠の世界が到来します。クリスチャンは、この神の御国の拡大のためにどれくらい貢献したかに従って、永遠の報いを受けます。わずかしか働かなかった者にはわずかな報いしかなく、沢山働いた者には多くの報いが与えられます。

 しかし、多く与えられた人はよほど多く働かないと、報いを受けることができないので、今日の日本のクリスチャンのように、迫害もなく、聖書もたくさんあり、教会にも自由に行くことができ、福音を語ることも自由であるならば、かなり頑張らないと、天国において、門番でもさせられてしまいます。

 「多く与えられた者には、多く要求されます。」

 

 

 

2001/09/01

 

 

 



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