聖書はアルコールを完全禁止しているか

 

>聖書時代の「ぶどう酒」はアルコールではなかったという人がいますが。

聖書時代の「ぶどう酒」がアルコール飲料であったかどうかは、イエスがアルコールを飲まれたか、もしくは、アルコールを飲むことを認めておられたかどうか、という問題から出てくる疑問として、長老教会などでは考えられていますので、同じ問題意識を持たれていると拝察いたします。

まず、イエスは、律法を完全に守られたということから考えると、もし、律法において酒を飲むことを認めていることが明らかであるならば、イエスも同じ考え方をされ、酒を認めておられたということになるので問題は解決するのではないでしょうか。

「主が御名を住まわせるために選ぶ場所、あなたの神、主の前で、あなたの穀物や新しいぶどう酒や油の十分の一と、それに牛や羊の初子を食べなさい。あなたが、いつも、あなたの神、主を恐れることを学ぶために。 」(申命記1423

新しいぶどう酒を飲みなさい、と命令されています。

しかし、これがアルコール飲料でなければ、問題解決にはなりませんので、他の個所を見る必要があります。

「あなたは、そこでその金をすべてあなたの望むもの、牛、羊、ぶどう酒、強い酒、また何であれ、あなたの願うものに換えなさい。あなたの神、主の前で食べ、あなたの家族とともに喜びなさい。 」(申命記1426

強い酒を買ってもよい、それを通して、主の前で喜びなさい、と命令されています。

これは、明らかにアルコール飲料であると分かります。

というのも、この「強い酒」と訳されている SHEQAR の派生元の動詞 SHAQAR は、「酔っ払う」という意味だからです。SHEQAR Brown, Driver, Briggs "Hebrew and Eng. Lex. of the OT, Oxfordでは、intoxicating drink(酔わせる飲料)と訳されており、これは、明らかにアルコールです。

 

聖書は、「アルコールを買って飲んでもよい」と述べているのです。

ということは、律法を完全に守られたイエスも、このことを行われたか、もしくは、そのことを認めておられたはずです。律法に記されていることをイエスが非難されたはずがありません。

 

また、聖書の他の個所において、酒(SHEQAR)がたとえ非難されていたとしても、特殊な人物や状況下においてであって、一般の人が何かの集まりや家庭などで節度を持って飲むことまでもが禁じられているわけではありません。

例えば、イザヤ5・11,22、56・12:

「ああ。朝早くから強い酒を追い求め、夜をふかして、ぶどう酒をあおっている者たち。彼らの酒宴には、立琴と十弦の琴、タンバリンと笛とぶどう酒がある。彼らは、主のみわざを見向きもせず、御手のなされたことを見もしない。…ああ。酒を飲むことでの勇士、強い酒を混ぜ合わせることにかけての豪の者。…やって来い。ぶどう酒を持って来るから、強い酒を浴びるほど飲もう。あすもきょうと同じだろう。もっと、すばらしいかもしれない。

ここに現われているのは、明らかに「怠惰で堕落した生活」です。朝から晩まで酒を飲み、酒豪を誇り、仕事もせずに、放蕩三昧している生活です。彼らは、神の御言葉や御業について無関心で、まったく、世俗的な生活の中に溺れています。

これは、節度ある飲酒に対する非難ではありません。

ミカ2・11:

「もし人が風のまにまに歩き回り、偽りを言って、『私はあなたがたに、ぶどう酒と強い酒について一言しよう。』と言うなら、その者こそ、この民のたわごとを言う者だ。

これもアル中の生活を非難しているのであって、酒そのものを非難しているのではありません。

1サムエル1・15:

「ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。」

ハンナが祈っているのを酔っ払っているのだと勘違いした祭司に対して、言った言葉であって、酒そのものを非難していません。

箴言20・1

「ぶどう酒は、あざける者。強い酒は、騒ぐ者。これに惑わされる者は、みな知恵がない。

この個所は、「酒に深酔すると聖なるものをあざけり、騒ぎたてることになるものだから、酒に支配されてはならない」と教えているのであって、節度をもって飲む酒への非難ではありません。

あとは、奉仕中の祭司(レビ10・9)や君子(箴言31・4)、ナジル人(民数記6・3、士師13・4,7、14)には禁じられていたことが記されていますが、これらの人々は、しらふで真剣に取り組まねばならない仕事があり、酒によって影響を受けることは職務をまっとうできなくなる恐れが充分にあるからです。

旧約聖書において、節度ある酒が禁止されていない以上、イエスが飲んでおられたぶどう酒が、アルコールであるかないかは関係なく、酒そのものを絶対禁止することはできないと考えられます。

 

 

 

2001/09/02

 

 

 

 



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