キリスト教はそんなチンケなものじゃない

 

>Tomさんの元の主張が「三位一体を信じれば日本の猟奇犯罪

>発生を抑止できる」でなかったですか?

>三位一体信者が多数いるアメリカの現状を見るとそう短絡的

>にいかないでしょ、日本で三位一体の信者をアメリカ並の数

>に増やすことで犯罪が減ることは期待できないと言いたい。

 

やっとまともな回答が返ってきたようだね。

たしかにそのとおりだ。クリスチャンの数が増えても、今日のアメリカを見ればそれが何の役に立っているのか、と言いたくなるね。

そこでだ。すでに述べたように、1963年以前とそれ以後のアメリカにおける凶悪犯罪の変化を見て欲しいといったわけだ。

つまり、戦後、デューイの実用主義教育論が支配的になり、クリスチャンの影響が薄れていって、1960年代半ばくらいから、学校で祈祷が禁止され、十戒を書いた紙が教室から取り外され、教科の内容が集団主義化したのだ。そのため、教育はヒューマニズムになった。ヒューマニズムの相対主義は、もちろん、絶対的な倫理基準などないのだから、当然のことながら、時代によって価値観は変動することを認めることになる。すると、生徒や学生は、映画やTVやロックやその時々の思想に影響されて、結局キリスト教の世界観から離れることになるね。コランバイン高校の銃乱射事件の犯人たちは、マリリン・マンソンに強く影響を受けていた。あの高校を始めとして今日の公立学校では、瞑想とかニューエイジ、自殺教育、ホモセクシュアル容認の教育が行われており、けっしてキリスト教の教育ではない。

教育における脱キリスト教化こそ、今日のアメリカを形成した最も主要な原因であることは多くの識者の指摘するところである。もしそうでないというならば、なぜ1963年を境に凶悪犯罪の増加、識字計算レベルの落ち込み、未成年女性の出産率増加、があったか説明できないだろうね。

実質的に、今日の三位一体論者は、キリスト教を家庭や社会などに影響を与えようという気構えがないのだ。4000万人のクリスチャンを支配しているのは、「この世は堕落していくのが当然だから、そんな住みにくい世界から逃れて早く天国に行きたい」という前千年王国説の逃避思想であり、社会に働きかけるというピューリタンの後千年王国説は捨て去られているのだ。

今日のアメリカのクリスチャンは、実質的に社会に対していかなる影響も与えることができない無能集団になっている。これは日本のクリスチャンについても言える。だから、単にクリスチャンの人口が増えても、教えが間違っていれば何の効果もない。

 

>>>> その大量虐殺というものが本当にあったのか、そして、

>>>> その大量虐殺がなければ、アメリカという国は成立でき

>>>> なかった、という証拠をね。

>

>>>異民族に自らの意思で進んで広大な豊かな土地を提供し、支配

>>>を受け入れ、傍若無人な振るまいを許し、自らは荒地に住みた

>>>いと思う人間がどこにいるの?

>>>そんな人間の存在を信じる方が無知だ。

>>どこでそんな人間の存在を信じると述べたかね。

>>人の掲示は、よ〜く読め。話しにならん。

>原住民を鉄砲で撃ちまくらない限り広大で豊かな土地を手に

>入れることはできず、それ無しに現在のアメリカ合衆国は成

>立しないと思うが、何で話しにならないんですかね。

 

こんな単純な理屈、わかりませんか?

つまり、日本人は、先住民族のアイヌを追い出して北海道の片隅に追いやって、ついに民族を絶滅寸前にまで追い込んでいる。アイヌはこのようなことが好きでしたか?そうではないでしょう、という話しをしませんでしたか?そういった話しを読んでいても、なおかつ「先住民族は豊かな土地を喜んで手放した」と私が言っているとあなたは考えているので、話にならないといったのですね。これでもわからないですか?

そして、あなたの文章を読んでいて奇妙なのは、こういった虐殺の限りをつくした自分たちの先祖のことを棚にあげて、こういった侵略と虐殺の責任をもっぱら「侵略を命じる聖書の教えを信じる三位一体論信者」になおも負わせている点ですね。

普通の良識を持っていれば、アイヌの例を読んで、「う〜ん。先住民族の追い出しの問題は、どうも聖書にだけ帰せられる問題ではなさそうだ」と気づくはずだが、なおも同じ問題にこだわるというのはどういう精神構造をしているか、ということも不可解ですね。

じゃないと、話が進まないでしょ?

違いますか?

それとも、「先住民族は豊かな土地を喜んで手放したかどうか」という問題にすり替えたいわけですか?

これでも分からないなら、ちょっとまとめてみましょうか?

あなたは、三位一体信者の多い国でも凶悪犯罪などは多いわけだから、三位一体信者が増えることは意味がない。いやむしろ、三位一体信者は、侵略を肯定する(とあなたが主張する)聖書に影響をされているから、インディアンを追い出してアメリカという国を作ったのだ。このような虐殺を肯定する思想のゆえに、アメリカにおいて凶悪犯罪や猟奇殺人が起こるのは当然である。という主張をした。

そこで、わたしは、侵略をしたのは何も聖書に影響をされたからではない。聖書はそのようなことを肯定していない。侵略や虐殺が行われたのは、日本だって同じだ。世界の諸民族はそのような歴史を持っているのだから、この責任を聖書にのみ帰することはできない。という主張をした。

そこで、あなたが応えるべきなのは、「聖書が侵略と虐殺の唯一の原因である」ということを新たな証拠を提出してなおも主張するか、それとも、「聖書が侵略と虐殺の唯一の原因ではないことはわかった。では○○が真の原因だ。」という新たな原因を提起すべきではないですか?それでなければ、話しの筋から離れるでしょう?ということ!

まず、これを片付けましょうね。

そして、「アメリカ人が無理やり土地を奪ったか」については私は、別に否定はしません。アメリカのネイティブアメリカンに対する隔離保護政策は民族絶滅の政策であって、それを手放しで認めているわけではありません。

もちろん、鉄砲をぶっ放さねば開拓はできなかったでしょうから、そういったこともあったでしょう。別にヨーロッパ人のかたを持つ気もない。

西洋列強の海外進出に伴なって植民地政策が原住民を苦しめることになったという全般的な問題はやはりあると思います。わたしは、植民地政策は、キリストの命令違反であった側面が大きいと思います。本当に正しい方法をとれば、西欧列強は、現地の人々を助けて、自立させ、生産力を増し加えることをやればよかったと考えます。支配ではなく、貿易による共存の道を探ればよかったと。

しかし、だからと言って、「植民や新大陸開発がすべて間違いだった」とは言えない。

なぜならば、全地は神のものであり、捕虜の頭の皮をはいだり、食人したり、生きたまま心臓を取り出したり、火の中に子どもをくべるような文化は変えられねばならないと考えているから。

「いや、人食いも、人身御供もあってよいのだ。それらを変えようとするなど、よけいなお世話だ」という文化相対主義の価値観は聖書的ではないので、わたしはそれを受け入れない。

あくまでもこの世界は創造者のものであり、創造者が聖書において命じた命令を守る責任がすべての国民、民族にはあると考える。そして、あくまでもそれらの罪を犯すことをやめようとしなければ、彼らは滅びるべきだ、とも考える。

このような考え方は、現在人気がないが、正当な考え方だと思いますね。

なぜならば、文化相対主義者は、総じて、他の民族については、そういった血みどろのオカルトの世界を保存しようとするが、自国や自分の民族に適用することは好かないから。

「西洋の文化によって、現地の文化を蹂躙すべきではない!」と叫びながら、「じゃあ、あなたは、自分の国を捕虜の顎を生きたまま切りとって戦利品にするような国に変えたいですか。車も電気も飛行機も電話もない世界に帰りたいですか?」と聞かれると、「むにゃむにゃ…」と言うしかないのだ。つまり、こういった文明批評家は、無責任なのだ。

 

>>「神様からもらった土地に他人がいるから殺しましょう。」なんて

>> 聖書のどこに書いてある?

>>聖書は、侵略、殺人を禁止していますよね。

>> 土地は、万物の創造者のものであり、その創造者が人間と結んだ

>>支配の契約を極端に破る者は、その土地を奪われる。

>> イスラエルがパレスチナの土地を占領できたのは、彼らが優秀だか

>> らとか、神の選民だからというわけではなく、ただひたすらに、「原

>> 住民が悪かったから」。

>自分達の信じる宗教の神=創造者を持ち出し、その神との契

>約を破ったからその土地は奪われるべきだ、と主張している

>点だ。それは自分達の信じる宗教では侵略に該当しない、侵

>略は禁止しているが、これは侵略でない、と言っている点だ。

>だから宗教絡みと言った。

>宗教が原因だとは言わない。侵略を宗教で正当化していると

>言う意味の宗教絡み。

 

何を言いたいの?

あなたが「宗教絡み」と言ったのは、バビロン捕囚とかユダヤ戦争についてでしたよね。

つまり、これらは宗教絡みの紛争だ、と。

それに対して、それは、宗教紛争ではなく、純粋にバビロンやローマの覇権主義による侵略であって、それに対してユダヤが抵抗した、ということだ、と言ったのですね。

問題をすり替えていませんか?

>> 君は歴史勉強したことあるかね。

>その反論の仕方、相変わらずですね、Tomさん。

 

前から私の掲示を見ていたわりには基本的なことを繰り返しますね。

もっと発展しましょう。

まず、その偏見と無知に塗り固められた固定観念から出発しても、何も見えてこないよ。

歴史的な認識に誤りがあるならば、それを素直に認める、聖書について誤解しているなら、誤解していましたと素直に訂正する。そうしないと、同じことを繰り返すことになりませんか?

あなたの立場は、「この世界は創造されたものではない」→「だから創造者のものではない」→「だから、人間が何をやっても、神の側から攻撃されたり土地を奪われたり、裁きを受ける必要はない」

という立場ではないですか?

しかし、キリスト教は、そんな立場には立たない。

「この世界は創造された」→「だから創造者のものだ」→「だから、人間がやったことに応じて、神の側から攻撃されたり土地を奪われたり、裁きを受けることがある」

と考える。

つまり、前提において、決定的な違いがあるということだ。

あなたの立場が正しいこと、つまり、「この世界は創造されたものではない」ということを証明しなければならないがそんなこと無理なので、あなたはこちらの論理を否定することはできない。

「俺は創造された者ではないんだ〜。俺が何をしようが、超越者から裁かれることは絶対にないんだ〜。」と叫んでも、「それはあなたの主観。裁きがないことを証明できますか?」と聞かれても応えられないでしょ。

それは、こちらもそうだ。つまり、創造があったか、創造者が存在するか、彼が主権者であって、我々を裁く権利があるかどうかは、信仰の問題であるから、あなたがいくら叫んでも我々の立場を否定することはできない。どこまで行っても主観と主観のぶつかりあいにしかならない。だから、そういった批判をして、相手を否定しようとしても、無駄なのだ。

「神がカナンに侵略することを認めた」→「イスラエルはカナンを征服したことは正しい行為であった」と結論するキリスト教に対して、あなたがいくら、「それはひどい」と叫んでも、あなたが「カナンは聖書の神のものではない」ということを証明できない以上、犬の遠吠えにしかならない。

「いやいや、このような理屈によってあらゆる侵略を正当化する姿勢が間違っているのだ」と主張するならば、それは正しい場合もあるし、正しくない場合もある。

例えば、アメリカ人は公民権運動まで、白人は、平気で、「聖書において黒人は白人の奴隷となるように生まれている」と主張していたが、そんなこと聖書に書いていないので、こういった理屈は批判すべきである。つまり、聖書を自分の都合のよいように解釈するならば、その解釈を否定すべきである。しかし、もし、あなたが、「自分の宗教の原理を持ち出すことそのものが間違っている」というならば、それはあなたも同類だといわれてしまうので、正しい批判ではない。

なぜならば、あなたも自分の宗教を持っているからだ。そして、その宗教を持ち出して、他人に強制力を行使しているからだ。なぜって?それは、どのような国の法律でも、宗教的背景をもたない法律はないから。

あなたが、日本国の法律を万古普遍の真理と考えているなら、それは誤解だと申しあげたい。

これは、宍戸氏とのやりとりでくわしくやったことだが、もう一度申しあげよう。

あなたは、日本国の主権者として、自分の価値観と異なる価値観の人間を警察権力を介して捕縛し、投獄し、処刑している。あなたは、オウムの麻原の行為を認めていない(オウムの信者でない限り)。無差別テロを否定している(だろう)。しかし、その価値観は、麻原とは異なっており、麻原を無理やり捕縛して、裁判にかけている。

そして、この「無差別テロ」が正しいか間違っているかをあなたは主観以外で判断できない。なぜならば、「法律を守って暮らしている市民を勝手に処刑すること」が正しいか間違っているかを証明することはできないから(もちろん、私は間違っていると思うが)。

麻原は、ポアはその人がこれ以上悪行をつませないための好意だと判断している。これは一つの価値観。しかし、あなたはそのような価値観を認めない。どちらが正しいかは、あなたは万物について完全な知識を持っているわけでもなく、それゆえ、来世についても自分で見てきたわけでもないからどうなっているのか知らない。「悪行をつませない」という彼らの行動が来世において好意となるかどうか証明できない。

つまり、あなたは、まだ証明されてもいないあなたの価値観を、自分の主観によって麻原に押し付けている。

あなたは、自分の宗教を押し付けて、それによって、人を勝手に処刑しようとしている。

これと、キリスト教のカナン侵攻とどこが違うのですか。

どこまで行っても、人間は、「意味の世界」については主観しか持つことができないわけだから、「自分の宗教を持ち出して…」と批判することは誰もできないのだ。

「自分の宗教を持ち出すこと」を根拠として、イスラエルのカナン征服について批判すれば、あなた自身を批判することになるのだ。

お分かりだろうか。

 

>> 「だから、同じように悪の極限に達したイスラエルは、

>> 土地から追い出され、バビロン捕囚にあったし、紀元

> >70年のユダヤ戦争と、130年のバルコクバの乱から、

> >1948年まで流浪の民となり、世界を放浪していた。」

>侵略自体が誤りでなく、その後で神をないがしろにするの

>がダメ、と言うことになる。侵略した後で信仰心を持って

>いれば問題ない、となるでしょ。だから侵略の正当化に

>神を持ち出した、と言う訳。

 

ん〜?

侵略した後で信仰心を持てばすべて正当化できるなんて、我々は言っていないですよ。

誤解ですね。

議論する相手を正しく知りましょうね。

あなたはあまりにも、先入観が強すぎる。

しかも、自分は先入観がないと誤解している。

だから、対話をする必要がありますね。

キリスト教はあなたの考えているような、底の浅いものではない。

認識不足ここにキワマレリですよ。

 

 

01/05/20

 

 

 



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