蛇について

 

<ご質問>

蛇が一番狡猾であると言われているのはどういう意味でなのでしょうか?

<お答え>

神はすべての被造物をごらんになって、満足され、すべてよいと言われたのですから、蛇そのものが悪い動物として創造されたというわけではないと思います。

創世記において「狡猾」という言葉は、'arumであり、アダムとエバが裸('arummim)であったことと対照的に描かれています(2・25−3・1)。つまり、アダムとエバが罪を知らないのに対して、蛇は罪の中にいたと考えられる記述です。

しかし、アダムはこの時点ではまだ罪を犯していないのですから、自然はまだ堕落していません。自然が堕落したのは、アダムが堕落した後です(3・14、17)。

このため、蛇がアダムに先立って堕落していたり、罪の中にあったと考えることはできないので、蛇が狡猾であるということは、「抜け目ない」という善悪の意味を超えた意味だと解釈する以外にはないと思います。事実、'arumは、「狡猾な」だけではなく「用心深い」「抜け目ない」という意味があります。

 

<ご質問>

また蛇とサタンとの関係、蛇神崇拝などとの関係について、富井師のご意見をお聞かせ下さい。

以下は、私の個人的な体験なのですが、小学生の頃、隣の家が、具体的にどういう宗教なのかわからないのですが、所謂「拝み屋」で、加持祈祷を生業とする人であったのですが、家の中に大きな仏壇があって、その仏壇に大きなアオダイショウがまつわりつくという出来事があったのですが、これは単なる偶然か自然現象でしょうか、やはり現実に存在している蛇と悪霊的なもの、偶像礼拝というのは関係があるのでしょうか?創世記に出てくる、蛇が文字通りの蛇であり、現在、地球上に存在する蛇が創世記の蛇から生まれたものであるとすれば、関係がないとも言えないと思うのですが。

<お答え>

神は、サタンが人間を誘惑することを許しました。その際に、サタンは、一番「抜け目ない」動物である蛇を選び、それに憑依することを神は許されました。

仰るように頭のよさから見ればチンパンジーのほうが優れているのですが、その外形と性質において蛇はサタンを象徴するのにふさわしいので、神はそれを許されたのだと思います。

さて、聖書は象徴を用いて霊的な事実を表現することが常であり、キリストは子羊、聖霊はハト、神の栄光は雲や火などで表現されます。サタンを表す動物は、蛇や竜です。

黙示録においても、サタンは年を経た蛇という象徴で表現されています。

聖書においては、象徴表現として現在でも蛇はキリストによって頭を砕かれるべき存在でありますが(つまり、聖書を読む際に、おおむね蛇をサタンの象徴として解釈する必要がある)、我々の周りにいる蛇がそのようなサタンの化身であるとか象徴であると考えるべきか、かなり難しいと思います。なぜならば、神は天地における一切のものを十字架において神と和解させてくださり(コロサイ2・20)、神はペテロに対してあらゆる動物はすでに清いものとなったと宣言されたからです(使徒10・9−15)。

 

 

 



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