ヘンリー・ルイス・スティムソン

 

スカル・アンド・ボーンズの陰謀について、私の記事を読んで、「ビンラディンと組んでテロを自国民に対して行い、米軍と組んで炭そ菌テロを行った?そんなひどいこと、米国政府がするだろうか」と疑問に思われるかたがいるかもしれない。

しかし、スカル・アンド・ボーンズの連中は、これまで、一貫して拡張主義者であったし、平気で自国民と日本人を原子爆弾のモルモットにした人間たちなのだ。

7人の米国大統領に仕えたヘンリー・ルイス・スティムソン(1888年入会)は、スカル・アンド・ボーンズの中のスカル・アンド・ボーンズと呼ばれる人物である。彼は、フランクリン・ルーズベルトとトルーマンのもとで、マンハッタン計画(原子爆弾開発)のリーダーを務め、広島と長崎への原爆使用を決定した。それ以前に、彼は、ロンドン海軍軍縮会議においてアメリカ代表団議長として、また、フーバー政権(1929-1933)の国務長官として、日本海軍力の制限のために中心的に働いた。さらに、フランクリン・ルーズベルト政権においては、経済封鎖によって日本を窮地に追い込み、真珠湾攻撃へと駆り立て、ついに、米国を太平洋戦争に参加させた張本人である。日本は、大陸での利権に拘るあまりに、スティムソンの陰謀にまんまとのせられた。

また、彼は、戦時中、日系米国人を強制収容所に送った最高責任者であった。

しかし、同時に、京都や古都などへの爆撃を手控えるように働き、戦後、天皇の廃位を阻止したのもスティムソンであった。伝記作家の一人によれば、日本文化を尊重し、敗戦国に対しても敬意を忘れてはならないと説いたのは、長い間日本大使を務めた歴史家ジョセフ・グルーであるが、彼は、スティムソンに最も近いアドバイザーであった。スティムソンは敗戦国日本とドイツに関する政策立案において中心的な役割を果たした。

スティムソンの日本への対抗意識は、その師セオドア・ルーズベルトに由来する。ルーズベルトがスティムソンに与えた影響の一つは、彼の太平洋への深い関心である。アメリカの運命は太平洋と極東を支配できるかどうかにかかっているとルーズベルトは信じていた。

太平洋と極東において新たな強国として台頭した日本は、それゆえ、彼にとって目の上のタンコブであり、第一の標的であった。また、戦後において、スティムソン(及び彼の理念を継承するスカル・アンド・ボーンズのメンバーたち)の世界戦略の中で一定の役割を果たすべく選ばれた国だった。

つづく

 

 

02/02/01

 

 

 

 

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