争いはことごとく悪か?

 

争いはことごとく悪であるならば、一番悪いことをしているのは神である。

 

神はサタンと争っておられる。

 

人間は、この争いの只中に創造された。

 

人間は、将棋のコマのように、争いの中で、神の兵隊として敵と戦うために創造された。

 

絶対非戦主義なるものは、聖書が教えるこの世界の成り立ちを否定する異端である。

 

絶対非戦主義は、クリスチャンから戦闘能力を奪っている。

 

クリスチャンは、霊的な戦い(エペソ6章)の中で生きているので、一方的に休戦宣言を出しても、敵はけっして攻撃の手を緩めない。だから、休戦宣言をするとすぐに敵の捕虜になって、敵に利用されてしまう。

 

だから、絶対非戦論を唱えるクリスチャンは、神の敵なのだ。

 

「そんなプレ・ミレかポスト・ミレかで争うのは止めて、だまって伝道すればよいのだ。」とか「黙示録は理解しにくい書だから、終末論にこだわると危険だ。」とか言うクリスチャンは、まんまと敵の手に落ちている。

 

自分が敵の一味になっていることに気づいていない。

 

ポスト・ミレになることは、サタンの矢面に立つことを意味する。

 

だから、ポスト・ミレに立とうとすると、必ず迫害にあう。これは覚悟しなければならない。

 

一時的に人々からうとまれたり、除名されたり、社会的、経済的、健康面などで何らかの困難に陥る。

 

しかし、神の側に立つ者が、迫害を受けないことは絶対にない。

 

もし、この一生を迫害なしで生きたならば、その人は、クリスチャンとしてやるべきことをやらなかった人なのだ。

 

妥協して、この世と調子を合わせるならば、たしかに快適な一生を送れるだろう。しかし、永遠の報いは受けられない。

 

永遠の報いを受けられないだけではなく、厳しく叱責される。

 

「主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。 」(ルカ12・47)

 

あなたは、「よくやった。忠実なしもべよ。」と言われたいだろうか?

 

それとも、「おまえは、わたしがおまえに与えた人生の間、一体何をやったのか?」と叱責されたいだろうか?

 

よく考えていただきたい。

 

 

 

 



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