霊的戦い

 

牧師の稼業を「日曜日だけ説教すればよいから気楽でいいね」という人がいるが、牧師の仕事の内容を知らないからである。
牧師は、様々な試練にさらされる。
牧師は、神の真理を守る働きをするから、サタンに一番ねらわれる。
もし、「お気楽にやっている」牧師がいるならば、彼は、サタンに手なずけられているからだ。
真理のために戦わない牧師は、サタンに恐れられない。
しかし、正面からサタンと戦おうとする牧師は、猛烈な攻撃を受ける。

「『サタン、サタン』っていうのはよくないんじゃないでしょうか。この科学の時代に。」という人も、完全にサタンにやられている。
サタンの一番の方法は、クリスチャンに霊的世界を否定させることである。
サタンなどいないか、もしくは、サタンなど聖書の世界の中だけのことだ、と考えさせることである。

聖書が教える世界の現実とは、「神とサタンの戦い」である。
世界は、この戦いの舞台である。(*)

牧師は、この戦いに参加する人々を統括し、彼らにエネルギーを与える仕事をしている。
だから、牧師をやっつければ、その下にいる人々の力も殺ぐことができる。

しかし、サタンが狙っている究極のターゲットは、牧師ではない。
神学者である。

神学者は、牧師に影響を与える。
神学者一人に偽りを信じさせれば、彼から学ぶ多くの牧師を偽りに巻き込むことができる。
牧師は、信徒に偽りを教え、ついに、世界の教会は無力者の集団になる。

この200年の教会史は、サタンによる、神学者への攻撃の歴史であった。
サタンが神学者をだました主要な戦略は、聖書に対する疑いである。
聖書を「人間の著作」と思い込ませ、神学者を哲学者化した。

神学者は、啓示から離れて、思弁の中に入り、哲学者と同様の理性主義者になっていった。

人類で最初の「理性主義者」は、エバである。

彼女は、「神は本当にそのように言われたのですか?」というサタンの誘導にまんまと乗って、「人間理性」を啓示の上に置いた最初の人物である。

「創世記の創造の記事を本当に信じているのですか?」というサタンの誘導に神学者たちはまんまと乗って、「聖書啓示」と「神の言葉」を区別したり、「事実的歴史」と「神学的歴史」を区別するようになった。

我々は、霊的な現実を認めない限り、このような誘導によって、これからも誤謬の中に巻き込まれる。

「聖書は絶対の前提であって、疑問や論証の対象にしてはならない。」という「前提主義」を受け入れない限り、キリスト教は、これからも弱体化の一途をたどるだろう。


(*)

誤解してはならない。

我々は、今、血で血を洗う戦いの中にいるのだ。

「えっ?戦闘の中にいる?そんな馬鹿な。」という人は、必ずと言ってよいほど、「聖書は人間の著作である」と考えているから見て欲しい。

つまり、だまされている人は、自分がだまされていると気づいていない。

これが、サタンがだましの天才であると言われる所以である。

自分がマインドコントロールされているかどうかは、「聖書は無謬ですか?」と尋ねられて、「はい。聖書は私たちにとって絶対の基準ですから。」と応答できるかどうかによってわかるのだ。

 

 

02/10/31

 

 

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