御国にふさわしくない信仰

 

 「このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。」(黙示3・16)

 先日、昼食をとっていたときに、胸が悪くなって戻しそうになった。なぜだかわからない。しばらく、御名を唱えて祈っていると収まった。

 私たちが「吐き出す」のは、腐ったものや異物など、自分の体と融合しないものを摂取したときである。

 人間の体は、それを受け入れると自らを破壊してしまうようなものを自動的に拒絶するようにできている。

 イエスにとって、「なまぬるい信仰」は異物であり、御体に取り込むことができないものなのだ。それを摂取すると、害が及ぶので、反射的に排除してしまうようなモノなのだ。

 冷たいなら冷たいなりに居場所がある。

 不信仰は、不信仰として、イエスの役に立つ。

 完全な不信者は反面教師として、イエスの義と愛をはっきりと表すことができる。

 信仰に猛烈に反対する人は、その狂気によって、逆に福音の真理を明らかにするだろう。 

 しかし、「信じているんだか信じていないんだかわからないような信仰」は、イエスの義と愛を積極的に表すでもない、かといって、それを積極的に拒絶するのでもない、結局、何の役にも立たない無用の長物なのだ。

 神の国において、「のれんに腕押し」タイプの信仰には居場所がない。

 

 



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