吉井春人牧師の批判に答える3

 

<吉井春人牧師>
(ただし、いわゆる「キリスト教再建主義(リコンストラクション主義)」の立場に立ったホームスクーラーのなかでは、彼らはこれまでどんな政治運動にも加わってこなかったにもかかわらず、いつも「政治的青写真」が課題とされてきました。しかも、日本のコンテキストにおいては旧約聖書の王と天皇を同一視することから、「将来キリスト教に回心することを前提とした天皇を元首とする王制国家」を目差します。ちなみに、私はそのような立場をとっていません。)

<富井>
再建主義のホームスクーラーが全員これまでどんな政治運動にも加わってこなかった、というのは、どのような資料があるのでしょうか。アメリカにおいて、現在、宗教右派の政治活動において理論的支柱になっているのは再建主義です(http://www.millnm.net/qanda/politcsnrec.htm)。1990年代から、アメリカの地方議会は再建主義を政治理論として受け入れるペンテコステ派が具体的に政治的活動を続けています。
日本の再建主義が具体的政治活動を行っていないのは、単に「今がそのような時期ではない」からです。まだ理論的な戦いの中にある以上、アメリカにおける活動のようなことは日本においては行ってもあまり意味がありません。アメリカにおいてすら、再建主義が具体的な政治活動に参加したのは、その理論的働きが始まってから20年たってからでした。

>しかも、日本のコンテキストにおいては旧約聖書の王と天皇を
>同一視することから、「将来キリスト教に回心することを前提
>とした天皇を元首とする王制国家」を目差します。

これは基本的な誤解です。
私が天皇を認めるのは、旧約聖書の王と天皇を同一視するからではなく、天皇を現在我々の上に立てられている権威として見なしているからです。

キリスト教の中には、王制そのものが悪であるという考えはありません。預言者は王制を捨てるように語らなかった。

実際、現在の天皇制は旧約聖書や近代以前のヨーロッパの王制とは異なります。「君臨すれど統治せず」という形態であり、実質的に民主制が取られている以上、天皇を廃位することにクリスチャンの関心を向けることにいかなる意味があるのか、と問うているのです。

天皇を廃位させ、天皇制を捨てるよりも、天皇の救いを求め、天皇がクリスチャンになって、キリストを真の王として迎えることのほうが、「解決は、環境を変えることにはなく、再生にある」という聖書の主張と合致するであろうと考えているのです。

クリスチャンが天皇制に反対し、天皇制を廃止して、共和制や完全民主制に移行したとしても、日本国が聖書を統治における最高権威として受け入れ、キリストを王としなければ、「民意を神とする」という偶像的体質から抜け出ることはできません。この偶像的体質は、アメリカなど今日の民主制近代国家における「多数派の横暴」や、「ホモセクシュアルの結婚の容認」などに見られる無政府状態の二の舞を踏むことになるのは火を見るより明らかです。解決を「制度の変革」に求めることは、環境決定論であって、聖書が教える「心中心主義」「倫理中心主義」からかけ離れています。

また、もし天皇制が日本の文化を規定しているのであれば、何も制度としての天皇制を廃止しなくても、天皇がクリスチャンになることによって、それは、解決がつくのです。天皇家がクリスチャンとなり、キリスト的世界観が日本文化に影響を与え、社会の細部を変えることを期待できないという議論は成立しないでしょう。もし成立するならば、論拠を示していただきたいものです。

 

 

02/06/14

 

 

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