多くの人が疑問に思うようなことは、やらないほうがよい

 

TVは、反戦運動が世界各地で広がっている様子を映し出していた。
この戦争に大義があるならここまで運動は拡大しなかっただろう。

賛成派の運動も紹介されていた。
その中に、アメリカのキリスト教保守派の姿もあった。
実に情けないではないか。

「占領国に西洋的価値観と民主主義を導入することに賛成する」んだと・・・。

それじゃあ、宣教などたやすいものだ。
大宣教命令を実現するのは、聖霊ではなく、ブッシュなのか?
「宣教の愚かさによって」ではなく、「ミサイルによって」福音は伝わるのか。
それなら、OMFとかキャンパスクルセードは、ブッシュに頼んで、「あの地域はまだキリスト教ではないから、ひとつ『衝撃と恐怖』を与えてあげてください」と言えばよいわけだ。
「再臨のキリストがエルサレムの神殿に立つときに、その威光を見た人々が彼の前にひざまずくだろう」などと教えているわけだから、こういった方法にも抵抗感がないのだろう。

アメリカの保守派キリスト教は、思考停止のカルトと化したようだ。

侵略戦争の代償は大きい。なぜならば、そこで流される血の責任は、国民の上に重くのしかかるからだ。

「・・・人を打ち殺して罪のない者の血を流す者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。 (申命記27・25)

専制君主体制よりも、民主主義体制のほうが、厄介なのは、侵略戦争しても前者は責任の大半を専制君主に置くことができるが、後者の場合、全員が均等に責任を負わなければならないからだ。

日本は民主主義であり、主権在民なのだから、イラク人の血の責任を我々も共同で負っていることになる。

「我々の手は血で塗られている」のだ。

ブッシュは、9・11事件後、「アフガニスタン戦争は、対テロ戦争の序章に過ぎない」と公言した。ということは、悪の枢軸相手にこれからも先制攻撃をしかけて、体制転覆のために戦争を継続するということになる。

小泉首相は、対北朝鮮、対イランにおいても、アメリカの戦争につきあうのだろうか。

ブッシュのキチガイ沙汰を止める者はいないのか。

願わくば、イラク戦争が失敗し、啓蒙専制君主ブッシュの高慢な鼻がへし折れられることを祈るものだ。


教訓: 

多くの人が疑問に思うようなことは、やらないほうがよいのだ。

すべての人が良いと思うことを図りなさい。(ローマ12・17)

すべての人が良いと思わないことをやりたいと思ったら、それは、自分が高慢になっているせいであることが多い。パウロはすぐ前で次のように言っている。

・・・高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。(ローマ12・16)

湾岸戦争の時とは異なり、今回の戦争には、常識的な人々は、みな首をかしげているではないか。

あの年齢で、この程度の教訓を人生の中で学んでこなかったというのは、驚きである。

そして、アメリカ人が、このレベルの人間に世界最強の軍隊を任せているということに疑問を抱かないというのもなお驚きである。

 

 

03/03/24

 

 

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