黙示録の著作年代について

 


もし黙示録の著作年代が、90年代であるならば、ヨハネが示された啓示は、70年におけるイスラエルの破局に関するものではなく、いわゆる全世界の破局についてであるということになります。

しかし、全世界の終末において、もし黙示録6-19章のような破局がまっていると考えると、解決のつかない問題が生じます。

それは、聖書は、他方で、世界のすべての民族が弟子化されると預言している、ということです。

イエスは、弟子達に、「世界のすべての国民を弟子とせよ。バプテスマを授け、私が命じたすべてを守るように教えよ」と命令しています。

この命令は成就しなければなりません。成就しない命令をイエスがされるはずがないからです。「無駄だろうが、やってみなさい」などということをイエスが言われるはずがありません。

もし終末において世界のすべての国民が弟子となるならば、世界は祝福の状態になっているはずです。

すべての国の体制、思想が、イエスを主と認める従順の状態になっているならば、どうして、黙示録の数々の裁きが世界に下るはずがありましょうか。

祝福と従順の中にある世界がどうして、裁きを受けなければならないのでしょうか。

また、聖書の様々な個所において、神が、イエスに、「敵を足台とするまで、私の右の座についていなさい。」と命令しておられます。

また、使徒3・21において、「このイエスは、…あの万物の改まる時まで(原語では『万物が元の状態に回復するまで』)、天にとどまっていなければなりません。」と言われています。

ここで、はっきりと、「万物が回復するまで」イエスは天に留まっており、再臨しない、と言われています。

サタンが足台となり(=征服され)、万物が回復してから、はじめてイエスが再臨されるならば、終末の世相がどうして、裁きを受ける状態にあると言えるでしょうか。

聖書が描いている終末の様相は、一貫して「従順と祝福の状態」であり、「裁きを受けるべき呪われた状態」ではありません。

しかし、聖書において、イスラエルの世界、旧約時代の世界、旧い契約の世界は、その不従順によって裁きを受けると書いており、イエス・キリストは、何度も、ユダヤ人に対して警告を発しておられます。

そして、事実、紀元70年にこの裁きは実現しました。

それゆえ、黙示録の裁きの描写は、旧い世界に対する裁きに関するものであると結論する以外にはなく、結果として、黙示録の著作年代は、70年以前であると考えざるを得ません。

 

 

2003年12月30日

 

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