解放の前には奴隷状態がある

 


<Q>
イスラエルの人々は、なぜエジプトに400年もの間奴隷の状態にさせられなければならなかったのだろうか。
もし神がイスラエルの神であるならば、自分を信じる人々を奴隷にするとは残酷ではないか?

<A>
(1)
これは、奴隷の体験がなければ、救いというものが分からないからです。

病気になってはじめて健康のありがたみが分かるように、奴隷を体験しないと自由の本当のすばらしさが分かりません。

60%の税金を取られる状態は奴隷以外の何物でもありません。

アメリカや日本を含めて世界のほとんどの国の政治がマルクス主義になり、高率の税金、累進課税、相続税などを押し付けられているのは、本当の自由を渇望するようにさせるための神様のご配慮でしょう。

(2)
人間は、悪法のもとにいると、非常に苦しみます。

悪法の特徴は、(1)締め付け過ぎと(2)緩め過ぎ にあります。

たとえば、交通法規がこのようであればどうでしょうか。次のような法律を与えられて満足できますか?

(1)夜10時以降は、車で県外に出ることを禁止する。
(2)赤信号でも、自分の判断で通過してよい。

どちらも、いやですよね。

(1)なぜ県外に出てはならないの?ここらでは、コンビニは隣の県にしかないんだけど。夜に買い物ができないなんて不便。

(2)赤信号でも自分の判断次第で渡れるなんて、コワイ。信号を通過する時は、徐行しないと。横から何が飛び出すか…。


こういう悪法は理不尽なるがゆえに人を奴隷にします。

現在、再建主義のセオノミー(神の法)を批判する人々は、聖書律法とこのような悪法と誤解しているのです。

しかし、聖書律法は、きわめて合理的です。それは、上記の例で言えば、

(1)昼でも夜でもいつでもどこにでも行ってよろしい。
(2)赤信号の場合は、必ず停止しなければならない。

というようなものです。

人間の法律は、不純な動機を持つ立法者の恣意が混じって、人々を奴隷化することがありますが、聖書律法は、人間を愛する神の善意から出ているものなので、我々を縛り付けたり、無秩序に落としたりすることはありません。

聖書律法を恐れる理由などないのです。

(3)
「姦淫やポルノを禁止するなんて不自由だ」という人がいるかもしれませんが、姦淫やポルノは、人を縛るのです。

盗撮で逮捕された田代まさしは、自由だったと思いますか?見つかればすべてのキャリアを棒にふると分かっていても、やらざるを得なくなっていたのではないでしょうか。


結論:人類は必ず、いずれの日にか、聖書律法が解放のための法律であることを理解するだろう。しかし、その前に奴隷を体験しなければならないだろう。

 

 

2003年12月10日

 

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