異人種間結婚について

 


<Q>

> ■No27291(ラビ・ハ・ノツリーム氏の発言)
> ●引用始め−−−−−−−−
> ヴァンティルやラッシュドゥーニーが言うように、もし聖書に啓示された
> 神定法を、現代社会において厳格に実行しなければならないとしたら、
> 当然のことながら、次の問題が浮上して来ます。
> ・子ども対する鞭を用いた体罰
> ・死刑制度の復活
> ・奴隷制度の容認
> ・異人種間結婚の禁止
> ・異宗教間結婚の禁止
>
> 上記のような主張は、アメリカの白人分離主義団体の主張と重なる部分が
> ありますので、人によってはヴァンティルやラッシュドゥーニーをも
> 「白人分離主義者」に分類することがあります。
> ●引用終わり−−−−−−−−
>
> これを読む限り、必ずしもラビ・ハ・ノツリーム氏自身がヴァンティルやラッシ
> ュドゥーニーを「白人分離主義者」としていように受け取れるわけではないもの
> の、この書き方だと読者は再建主義者=「白人分離主義者」である、と理解する
> ように思います。
>
> また、■27401 /inTopicNo.68)白人分離主義 において、「異人種間結婚の禁止」
> についての説明がありますが、tomi先生のサイトでもそのような掲示を見たこと
> がありませんので、再建主義者の誰がそのような主張をしているのかをラビ・ハ
> ・ノツリーム氏に質問をしました。(私のハンドルは「カルチョファン」です。)


<A>
(1)
たしかに、ラッシュドゥーニーは、異人種間の結婚に賛成していません。

しかし、それは、宗教的な戒律としてではなく、「神の創造の多様性を尊重すべき」という意味でです。

「…十戒は、明らかに神の創造に対して敬意を払うことを求めている。もし神が万物の創造者であるならば、万物には目的があり、創造時に定められたそれぞれの働きを遂行する限り、それは善である。律法は、…雑種化を防ぐことによってすべての生き物の完全性を尊重せよ、と命じている。」(R. J. Rushdoony, Institutes of Biblical Law, P&R, 1973, p.256)

神は、世界を多様なものとして創造されました。そして、それぞれの存在には、意味が与えられています。

ライオンはライオンとして、猿は猿として、ミミズはミミズとして、人間の男性は男性として、女性は女性として、それぞれに役割を与えられて生存しています。

神のご目的は、創造の多様性を保ちつつ、全体において調和し、ハーモニーを奏でることにあります。

しかし、進化論の考え方は、劣等な生き物が生存競争に打ち勝って、次第に高度な生物に発展したと考えますので、種と種の間を連続なものと考えます。

そのため、「女性は男性よりも体力が劣っているから劣等な生き物だ」というような、差別が生まれます。

神が生物や無生物を多様に創造されたのは、より高次の存在に移行させるためではなく、創造されたままの姿で、全体に貢献するためでした。

オーケストラを考えてみれば、分かりますが、全員がバイオリンにあこがれてバイオリンになっても、優れた音楽は生まれません。それぞれの楽器がその個性をもったままで、全体のために貢献するときに、その多様性がかえって、絶妙なハーモニーを生み出すのです。

この意味において、白人は白人として個性を与えられており、黄色人は黄色人として個性を与えられ、黒人は黒人として個性を与えられています。この人間の多様性の中で、神はご自身を多様に啓示されているのです。

福音書でも、マタイがキリストを描く描き方と、ルカが描く描き方は違います。4つの福音書全体が多様な描き方をすることによって、キリストの全体像が立体的に見えてきます。

それと同じように、神の象徴である人間は、その多様な人種や民族を通じて神を立体的に描くのです。

我々日本人だけを見ていると、たとえば、神様って「わび」「さび」を大切にする渋い方なんだなあ、という理解は得られるかもしれませんが、それは神様を一面的にしか表現していませんので、神様に関する知識は不完全です。

しかし、ラテン人を見ると、「神様はこのような陽気な一面もあるのか」と理解できます。

また、黒人を見て、「神様は、こんなに躍動的な方なんだ!」と分かります。

このように、人間は、神の人格的ご性質を表現するために創造された象徴なのですから、多様性は重要であり、むやみにその多様性を壊すべきではない、というのが人種間結婚を禁止する律法の趣旨だというのです。

しかし、これは、あくまでも原則であって、人種間において生殖が可能なのですから、神様が人種間結婚を「絶対禁止している」と考えることはできません。

それゆえ、アメリカ白人と結婚する日本人は罪を犯しているなどということはできません。

また、旧約聖書において、人種間結婚の禁止は、「異教の侵入を防ぐ」という意味もありました。

なぜならば、旧約時代において、「ユダヤ人」という人種概念は、イコール、「神と契約を結んだ民」という宗教概念でもあったからです。

しかし、新約時代になって、「超民族的経綸」に移行しているのですから、このような人種的・民族的区別にはいかなる意味もなくなっています。

「あらゆる国民を弟子とせよ」という時代において、異人種や異民族と結婚しても、同じ信仰を持っているクリスチャン同士ならば、まったく問題はありません。

しかし、旧約時代においては、ユダヤ人以外と結婚することは、その相手の背景には必ず異教的文化があったため、そこから契約の民としてのユダヤ人のアイデンティティが崩れる恐れがありました。

それゆえ、神は、異民族との結婚を、その相手の民族の倫理的レベルに応じて制限されています。

たとえば、エジプト人とは結婚できましたが、カナン人とはできませんでした。なぜならば、カナン人は非常に堕落していたからです。堕落した民族の人々と結婚することは、配偶者を通して偶像礼拝が侵入する恐れがあるためです。


(2)
「白人分離主義」については、ラッシュドゥーニーの宣教団体が、カルケドン・レポートにおいて、「無関係」との公告を出していました。

ラッシュドゥーニーは、人種差別に属することを一切述べていません。

(3)異宗教間の結婚は、「クリスチャンに関する限り」禁止されています。しかし、ノンクリスチャン同士の場合、聖書は何も語っていません。

クリスチャンの場合は、宗教が違う人と結婚することは、「つりあわぬくびき」をつけることであり、結婚の第一の目的である、「神の御国建設」と調和しません。

信者が、献身的に教会奉仕をしようとしているのに、それに反対する配偶者がいれば、働きは大きく妨害されます。


(4)
「子ども対する鞭を用いた体罰」は箴言が命じていますし、有名なことわざ「鞭を控える者は、子をだめにする」とありますように、鞭を使って体罰を行うことは必要です。ただし、今日、愚かな親が、虐待を行っているので、イメージが悪くなっていますが、アメリカの伝統的なしつけは、鞭を使っていたことが、『トム・ソーヤの冒険』などで分かります。大切なのは、愛情です。子供を立派な大人に育て、神から祝福を受けられる人間に育てたいならば、愛の鞭は必要です。

(5)死刑制度、奴隷制度については、FAQにおいて説明してありますので参照してください。

 

 

2004年1月3日

 

 ホーム

ツイート

 



millnm@path.ne.jp