批判者に対して、毎回感じること

 


批判者に対して、毎回感じるのは、
1.なぜ、こちらの「明確な発言を無視するのか」?
2.なぜ、理屈に合わないと自分で分かっていることを大胆に宣言できるのか?
3.なぜ、これを発言することによって、ある人々を中傷することになることを臆面
もなく語れるのか?
4.なぜ、相手の言葉そのものを引用して反論しないのか?
5.なぜ、聖書を根拠に相手を批判し、自説を主張しようとしないのか?
ということです。

恐らく、
1.相手の明確な発言を取り出して議論すると自説の矛盾が表面化するから。
2.「今まで自分たちが主張していることや、世間一般で信じられてきた常識と乖離
する」という、ただそれだけの理由しかなく、理屈はどうでもよくなっているから。
3.中傷を行うことによって自分の名誉や評判が傷つくことを無視できるほど、心が
敵意で溢れているから。
4.相手の言葉そのものを引用すると、自分が人に信じさせようとしている「再建主
義像」が壊れるから。
5.聖書を最高権威としていないか、もしくは、最高権威として扱うと、自説が間
違っていることが証明されてしまうからでしょう。

ラッシュドゥーニーは、「私はそのようなことを言っていない、と再三にわたって相
手に言うのに、『いや、あなたはそう言っている』と言われる」と語っていました
が、まさしく、我々の批判者に共通する性質は「思い込みが激しい」ということです。

我々を、「暴力や強制によって、無理やり聖書の原理を社会に適用し、姦淫者や同性
愛者を処刑し、非行少年を石打ちにする狂信者」に仕立て上げたいという誘惑に抵抗
できないのだと思います。

 

 

2003年12月4日

 

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