救世軍山谷大尉の再建主義論に反論する7

 


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1.普通選挙によって選出された代議員で構成される議会制民主主義政体は、どの聖句によって支持されるか?

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聖書は普通選挙を支持していません。
聖書は、世界が神による創造であり、神の所有であるとしていますので、その統治者として任命されるべきは、聖書の神とその御言葉である聖書を最高権威と認める者だけだ、と教えています。ノアの時代に堕落した世界が洪水によって滅ぼされたことは、誰でもかれでもが統治者になれるわけではない、ということを示しています。(*)

普通選挙による議会制民主主義政体は、民意を最高権威とし、聖書をその下に置くことを許すものであり、聖書が教える政体ではありません。今のアメリカや日本のように、聖書を権威として尊重しない選挙民が選挙権を与えられて代表者を選別すると、極端な話、サンフランシスコ市のように、住民の4分の1とかかなりのパーセンテージの人々がホモセクシュアルである場合、ホモセクシュアル中心の政治が行われる危険性があります。もちろん、憲法の制約があるにはありますが、しかし、実際に、アメリカでは、最近の出来事のように、ホモのカップルの結婚を許可する地方も出てきたりします。

これは、「男色にふけったソドムとゴモラを火によって滅ぼされた」神の御心にかなわない政治です。

神の御心にかなう政府において、このような政治を防ぐためには、選挙民の資格を「聖書の神と聖書を最高権威として認める市民」に制限する必要があります。

現在、アメリカ人も日本人も、人間の善性に信頼しており、「宗教的多元主義」を価値あるものと誤解し、普通選挙による民主主義体制を肯定していますが、これは、どちらに転ぶか分からない極めて危なかしい体制です。ヒトラーは、ワイマール共和国という宗教多元主義の民主主義国家から生まれたのです。

民意というものに信頼できないことを示しているのは、エリヤとバアルの預言者の戦いです。
あの時、エリヤ1人に対して、バアルの預言者は450人いました。そして、イスラエルの民衆はバアルのほうにつきしたがっていました。

多数決で解決する方法を取れば、エリヤよりもバアルの預言者に従った民衆の意見が採用されるということになります。

聖書という超越的規範なしで、民意だけに頼る国家は、神の御心から外れやすいので早晩瓦解します。

結論として、わたしは、独裁制や寡頭政治よりも、聖書を権威と認める多数の選挙民が代表者を選ぶ代議制民主政治(語弊がありますが)がよいと思っています。それは、できるだけ権力を分散することによって、チェックを働かせ、政治が少数の人々の利害や考えによって振り回されないためです。(**)


(*)もちろん、今のような神を認めない社会における統治者はそのような人々ではないことが多い。聖書は彼らが聖書に従わないから、彼らに反逆してよいとは教えず、神に立てられたがゆえに彼らに従えと命令しています。しかし、それは、聖書が「神と聖書を権威としない人間でも誰でも統治してもよい」とお墨付きを与えたものではなく、クリスチャンの地上生活が守られ、福音が進展し、地上秩序が暫定的に維持されるために暫定的に置かれた統治者として尊重せよということです。彼らは聖書が示す「理想の統治者の姿」ではありません。

(**)このチェックアンドバランスの考えは、「人間の罪性」を主張する聖書の人間観と調和しています。少数の人間の知恵や善意に頼る体制は、聖書的ではありません。

 

 

2004年1月5日

 

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