福音伝道にハッタリは似合わない


大手予備校で超有名講師を務め、時給ン十万を取るHD氏は、ある新興宗教の教祖WDの孫であり、昔、私と同じ校舎で教えていた。

これだけの高給を取れる人は、さすがに何か違う(らしい)。

知識の差は、予備校で教える人の間で、それほどの違いがあるとは思えない。

では何が違うのか。それは、プロ根性、気迫、熱意だろう。しかし、こういったものを持っていても、普通の収入しか得られない先生はいた。東大を出て、国連特Aを持ち、TOEICで満点を取った非常に優秀な英語教師の時給はン万円であった。時給ン万円なら、コマ数が少なければ、公立高校の教師をやったほうがよっぽど収入はよい。

時給ン十万円を取れる教師が持っていて、凡教師が持っていないものは何だろう。それは、やはり宗教的な魅力、つまり、カリスマ性ではないだろうか。

カリスマ教師は、生徒を呪文にかけ、生徒に自信を与え、やる気にさせる。

「私の授業を受ければ必ず成績は伸びる」と無責任にも断言する。

なぜ「無責任」かと言えば、成績が伸びるか伸びないかは、主に生徒の心構えや勉強の技術や量などできまってくるからだ。

特定の授業を受けたか受けないかと成績の伸長とはまったくないとはいえないがそれほど関係ない。ポリシーをしっかり持てる生徒は誰の授業を受けても成績を伸ばすことができる。

「○○先生の授業を受けたので合格しました」という合格体験記を載せた予備校の宣伝は、自分の学校の売り込みのために作り出した幻想である。

他校との差別化を図るには、「我が校には優秀な先生がいる」というしかないのだ。だから、予備校側は、アイドル教師まで作り出そうとする。

わたしは、この業界に10年ほどいて、虚しさを禁じえなかった。受験業界が、芸能界と同じような「夢を売る商売」になってしまったからだ。

つまり、虚業である。実体のないものをあたかもあるかのように売り出し、本当の価値以上の値をつけ、不釣合いな見返りを求める。ハッタリ産業にろくなものはない。これは、騙しの世界である。

福音伝道をショー化したキリスト教も、これと同類である。

カリスマ伝道者を海外から招いて、大々的に宣伝し、彼によって何か特別なものを受け取れるかのような幻想を人々に抱かせる。

福音にハッタリは似合わない。ハッタリをかます必要があるのは、その売り物に実質的な価値がない場合だけである。

福音伝道をショー化することによって、かえって福音が安っぽく見られるようになったことを教会は反省すべきである。

 

 

2004年3月14日

 

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