救世軍山谷大尉の再建主義論に反論する17

 


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>クリスチャンはもはや律法に支配されないのか?

聖書では、このように言われています。

 律法とは、人を生きている間だけ支配するものであることを知らないのですか。

 あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対して死んだ者となっています。

つまり、クリスチャンはキリストと共に「死んだ」ので、律法によって支配されないのです。

<T>

私は、前の掲示において、律法には2つの意味があると言いました(正確に言えば3つなのですがここでは論点とならないので省略します)。
それは、「『導き手』としての律法」と、「『罪人を断罪し処刑する』律法」です。
そして、「律法に対して死んでいる」と言った場合に、「『罪人を断罪し処刑する』律法」に対しては死んでいるが、「『導き手』としての律法」に対しては生きている、と述べました。

「あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対して死んだ者となっています。」という聖句について、私は、これは、「キリストとともに処刑されたので、もはや律法の刑罰にあう必要はない」と解釈しました。

どうしてこのような解釈をしたかと言えば、様々な個所(5個ほど挙げました)において、イエスもパウロも「律法を守れ」と命令しているからです。

「だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破…る者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守…る者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます」(マタイ5・19)

これは、もちろん、「律法を守れ」という意味です。それ以外にどのような意味があるのでしょうか。

聖書の中で「クリスチャンは『導き手としての律法』に支配されていない」などと主張する個所は一つもありません。

あったら教えてください。

 

 

2004年1月7日

 

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