再建主義は、パワー崇拝者ではない

 


米ファンダメンタリストたちは、キリスト教再建主義の著作に影響を受けて政治に積極的に関わるようになった。

しかし、非常に残念なことに、彼らはディスペンセーショナリズムを捨てずに、再建主義の「統治主義」を受け入れてしまったため、「政治による変革」という世俗的な覇権主義に傾いてしまった。

アメリカクリスチャン同盟がブッシュ大統領のイラク戦争を支持したのは、その現われである。

ラッシュドゥーニーは、繰り返し「変革は、心の再生より始まる」と言い、強制や革命を断罪していた。

ゲイリー・ノースは、『モーセとファラオ』や『シナイ戦略』において、「力の宗教(Power religion)」を非難している。

力と政治によって世界を変革しようとするのは、帝国主義である。

このような間違った統治の政策は、人々にファンダメンタリストのキリスト教に対する恐怖と嫌悪を植えつけ、彼らが教会において唱えている福音の光を消してしまう。

それだけではなく、再建主義について知らない人々に、「再建主義はファンダメンタリストに理論を提供している極右的立場」との誤解を与えることになるのである。

私は、人々がこのように誤解をしないよう強く望む。

我々が唱える契約主義とは、別な言い方をすれば「倫理中心主義」である。神が人間に力を与えるのは、彼が賢いからでも、有能だからでもない。倫理的に優れているからである。

神の戒めを守る時に祝福され、破る時にのろわれる、との申命記の言葉こそ、我々の「因果律」である。

この点を読者はよくよく理解していただきたいのである。

 

 

2003年12月10日

 

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