進化論の成立 1


ゲイリー・ノースが進化論の成立について、Dominion Covenant (ICE, TX, 1987)において語っているのでご紹介する。

ベルナルド・ドゥ・フォンテネルは、『世界の多元性に関する対話』(1686)において、創造世界が自律的であると同時に無限でもあると主張した。この本は当時絶大な人気を博した。

1755年、インマヌエル・カントは、この考えに立ち、世界ではじめて進化論を体系的に説いた。


インマヌエル・カントは、3冊の『批判書』を書き、名声を博した。宇宙論に対する彼の偉大な貢献はその名声の陰に隠れてしまった。事実、彼の初期の著書『自然史の概略と天体理論』(1755)は、宇宙の歴史を進化論に基づいて説明しようとした最初の体系的な試みである。その中において、カントは、自然秩序を、最初の創造時に完成したものとしてではなく、今「存在にいたりつつあるもの」として描いた。カオスから秩序への移行は、一挙に起こったのではなかった。(Stephen Toulmin and Jane Goodfield, The Discovery of Time (New York: Harper Torchbook, 1965), p. 130.)

カントによれば、創造の完成には何億年もかかった。時間は直線的で、無限かもしれないが、創造の過程は「循環的」である。世界は下降し、終わりにクライマックスを迎えるが、その終末の破局の中から再び秩序が形成される。

世界や秩序は滅び、永遠の淵の中に飲み込まれる。しかし、同時に、創造は天において常に新しい形を作り出し、失われたものを取り戻そうとせわしなく働いている。

つまり、彼の言葉を借りれば、「自然とは不死鳥のようなものであり、燃え尽きても、灰の中から再び若さを取り戻して復活する。永遠の時間と空間の中で…。」(Quoted in ibid., p. 134.)ということなのである。

現代哲学の基礎を築いたインマヌエル・カントは、いわゆる「中立的」な「永遠の振幅」説を信じる天文学者が描く宇宙論に前提を提供した。現代の天文学と地質学を支配しているのは、実際のところ、宗教的な前提であることがここから分かるのである。

 

 

2004年1月28日

 

 ホーム

ツイート

 



millnm@path.ne.jp