救世軍山谷大尉の再建主義論に反論する3

 


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また、異端、冒瀆罪、魔法、魔術、占星術、姦淫、近親相姦、親を殴る子ども、矯正不能な非行少年、婚前交渉をした女性も、すべて死刑に処すべきだと主張しています。

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今日の宗教多元主義の社会において、このような罪のゆえに、死刑に処すべきだ、などとゲイリー・ノースは言っていません。
ポスト・ミレは、「将来、聖霊の偉大なるリバイバルが必ずあって、国民の大多数がクリスチャンになるような時代が必ず来る」と信じます。

そして、このようなキリスト教が「国民宗教」になる時代において、社会制度をどうすべきか、というのが、我々の関心であって、現在のようにヒューマニズムの宗教多元主義の社会において、異端者や姦淫者を処刑すべきだ、などと主張しているわけではありません。

「いやぁ、『異端、冒涜罪、魔法、魔術、占星術、姦淫…』に重罰を課する社会など誰が望むだろうか」と人々は言うかもしれませんが、聖霊によって生まれ変わった人々が多数になれば、このようなものを嫌悪する文化的雰囲気は必ず形成されます。

今の時代は、私が小中学生だったころに嫌悪されていたものが、堂々と市民権を得て、愛好すらされています。

ホモのタレントが人気を博したり、ポルノ女優だった女性が本を出してヒットするなど、昔なら考えられないことです。

しかし、社会的風潮など容易に変わるものであり、人々の常識など一定ではないので、今日の常識で判断はできません。

先日、中国で日本人留学生が余興で女性の下着姿で舞台に現われ、中国人の反感を買って大騒動になりましたが、日本の常識は世界では通用しないということを忘れたことが原因でした。

「異端、冒涜罪、魔法、魔術、占星術、姦淫」などが許されてしかるべきじゃないか、と大多数の人々に考えられているのは、社会が堕落しているからです。

神はこれらの罪について厳しい評価をしておられるのに、社会の大多数の人々は、それを無害だと考えている。

これこそが、「善悪を自分で決定する」という誘惑にはまったアダムの子孫のなれの果てなのです。神の善悪の基準と別の基準を作って、それに周りの者をすべて合わせようとする。

神に対してすらも、「あなたの見解は『過激』です」というなど、まさに、自分を神とする最悪の堕落の姿なのです。

神の基準に対して文句を言うような人が、今日 指導者を務めているから、教会がカルト化するわけです。

ある組織において指導者になる人に必要な資質とは、その組織のヒエラルキーに対して忠実であり、上部の人間の命令を文句を言わずに実行できる人です。もし指導者がこのような資質を備えていなければ、組織は早晩瓦解します。軍隊ならば、到底敵と戦うことはできません。

命令違反が常態化しているような軍隊は、崩壊しているのであり、戦いにまったく役に立ちません。

救世軍とは、軍隊を模して構成された「神をトップとする上意下達のヒエラルキー」であるはずです。

その組織の将校が、最高司令官である神が定めた基準を「過激」だと平気で非難し、しかも、この将校が彼の上官から訓戒されず、組織自体も彼を見逃すならば、外部の人間から、「これは、本当に神の軍隊なのか?」と疑われても仕方ありません。

革命の本質は、「上位者の立てた法や基準に対する不同意、不服従」にあります。

それゆえ、聖書の基準に対する不同意、不服従は、その人間が、神に対する革命者であり、「別の宗教」を信じる者であることを示しています。

 

 

2004年1月2日

 

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