聖書翻訳の問題 2


(2)マタイ24章3節


イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

プレテリストは、マタイ24章を、すでに(紀元70年に)起こったことと解釈するが、プレ・ミレは、未来に起こる世界の終末のことと解釈する。

しかし、マタイ24章を「世界の」終末予言と解釈する根拠は聖書の中にはない。

新改訳が3節「世の終わり」と訳しているのは、本来ならば、「時代の終わり」と訳すべきである。

原語では、「世」はαιωνである。αιωνについて織田氏は次のように述べている。

もともと一定の時間的スペースをあらわす語
(1)(人の)一生一代、世代;歴史上の一つの時期、時代、特に未来の時代に対して現在の時代、この時代をあらわす;いまの世代、(この)世界
(2)永遠へと無限につながっている一連の時代の一つ、の意から転じてこのような時代の無限の連続、永遠;

類語:κοσμοs, 秩序ある宇宙、この世界の物的秩序、世界中に済んでいる人間、この世のもの、この世のことがら;…αιωνはこれに対し、時間の面から見た世界、一つの「時代」、「世代」。
(織田昭著『新約聖書ギリシャ語小辞典』大阪聖書学院1976年)

我々現代人が想起する「世界の終末」における「世界」は、どちらかといえば、「秩序ある宇宙、この世界の物的秩序、世界中に済んでいる人間、この世のもの、この世のことがら」を表すκοσμοsであり、「時間の面から見た世界」「一つの『時代』、『世代』」を表すαιωνとは異なる。

弟子たちの質問は、「神殿礼拝を中心とする旧い時代の終焉と、それが崩壊した後にやってくる新しい時代の到来」を予言したイエスの御言葉に対するものであるため、αιωνは、「この時代」「この世代」と訳すべきである。

この翻訳を支持し、補強する個所は、マタイ24章34節「まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。」である。

マタイ24章のイエスの発言全体の意図は、「この時代の終わり」を示すことにあったということがここから分かる。

文脈もこれを補強する。
マタイ23章の最終部分では、イエスは「ああ、エルサレム、エルサレム。…見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。」(37-39)と、「世界」ではなく、「イスラエル」への審判を予言しておられる。

 

 

2004年2月5日

 

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