イマジン


サタンの狙いは、聖書が定めた善悪の基準を撤廃して、人間が独自に作り出した教えによって、世界を再編することである。

ジョン・レノンの『イマジン』がこの考えをよく表している。

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考えてごらん
天国なんて存在しないと
やってみれば簡単なこと
地獄なんてない
頭の上には空が広がるだけ
みんなが今を生きていると考えてごらん

考えてごらん
国境なんて存在しないと
簡単なことさ
何かのために殺すことも、死ぬこともない
そして宗教もない
みんなが平和に暮らしている

君は僕のことを夢想家と言うかもしれない
でも僕は一人ではないよ
僕は期待している
いつか君も僕達の仲間になってくれることを
そして世界が一つになることを

考えてごらん
持ち物なんてないと
きっとできるさ
むさぼる必要も飢える必要もない
みんなが一つの家族として
一つの世界を分かち合う

君は僕のことを夢想家と言うかもしれない
でも僕は一人ではないよ
僕は待っている
いつか君も僕達の仲間になってくれることを
そして世界が一つになることを
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(1)超越法の否定

まず、レノンは、天国と地獄を否定している。
天国と地獄を否定するのは、神の法を否定することに等しい。

刑罰制度を否定する人は、法を否定しているのだ。

「人間は、自分の取った行動によって、褒められることも裁かれることもない」ということは、「人間の行動を規制する超越法は存在しない」と主張しているに等しい。

これこそ、サタンによるエバへの誘惑である。

彼はエバに対して「善と悪を自分の判断で定義しなさい」とささやいたのである。

「みんなが今を生きていると考えてごらん」

つまり、「この世界は閉じられた系だ」と言っているのだ。

人間を越えて命令し、裁く者は存在しない。レノンは、「人間だけで完結する世界」を作ったカントの霊的子孫である。

(2)権威の否定

「考えてごらん 国境なんて存在しないと」

国家は、神が人間に地上統治させるために制定した機関である。
国家は、善人を誉め、悪人を罰するために存在する「義のしもべ」である(ローマ13章)。

「人間が神に従う」という場合、それは、具体的には、自分の直上の権威を尊重することを意味する。

「僕は神には従うが、国の法律には従わない」というのは、神に従うことにはならないのだ。

神の御支配は、代理者を通しての「間接統治」である。

自分の上に立てられた国、上司、両親、教師などに服従することこそ、「神への服従」の具体的な方法である。

それゆえ、国境を撤廃し、権威を取り去ることは、革命である。

レノンは、ここで自分を革命家であると宣言しているのだ。

「何かのために殺すことも、死ぬこともない そして宗教もない みんなが平和に暮らしている」

殺す理由も死ぬ理由もなければ、この世に意味はなくなる。

刑罰は、価値や意味を守るために存在する。

ピッキングや窃盗犯を処罰しない国家は、国民の財産をどうでもよいと考えているのである。

殺人犯を処刑しない国家は、国民の命を尊んでいないのである。

侵略軍を迎え撃つことなく、侵略されるままに放置する国家は、国民の生命や財産、そして、国の秩序を軽視しているのである。

「何かのために殺すことも、死ぬこともない」社会は、価値あるものと、そうでないものとを区別しない社会であり、それゆえ、崩壊しつつある社会である。

自分の家族を守るために命をかけない人は、自分の家族に平和を与えることはできない。それと同じように、自分の国を守るために命をかけない政府は、自分の国に平和を与えることはできない。

ジョン・レノンの平和は、絵に描いた餅である。

(3)私有財産制の否定

「考えてごらん 持ち物なんてないと むさぼる必要も飢える必要もない みんなが一つの家族として 一つの世界を分かち合う」

私有財産を否定して、あらゆる財を共有するという考えは共産主義である。

神は、社会を私有財産の上に築くように命じておられる。

「盗むな」「むさぼるな」という戒めは、個人の財産を保全せよ、との命令でもある。

もし私有財産が認められなければ、人間は完全にやる気をなくする。それだけではなく、社会システムのあらゆる部分が機能不全に陥る。

たとえば、自分が商品を仕入れて、それを販売しても、相手が財産の共有を主張して代金を払わなければ、仕入れた人は、労働の対価を受け取ることができず、それ以上、仕事を続行できない。

サービスにはコスト(人件費、輸送費、管理費など)がかかる以上、社会が、所有権をしっかり保障しなければ、あらゆる部分においてサービスは不可能になり、社会は死んでしまう。

貧困、飢餓の原因を「私有財産制」に求めるのは間違いである。

貧困、飢餓の原因は、「人の困窮を無視する貪欲な心」である。

自分の成功を神から与えられた責任と考えず、社会に還元するどころか、それをもっぱら自分の権力の拡大もしくは維持のためにだけ使おうとするエゴイズムが、社会悪の元凶なのである。

聖書は、富を「神から任されたもの」として描いている。

そして、最後に、清算が行われ、それをどのように賢く用いたかが評価される。

だから、「富める若者」はイエスに叱責されたのだ。

富をあたかも「自分のもの」であるかのように考え、貧困者を無視していたからだ。

「多く与えられた者は多く要求されます」(ルカ12・48)

結論:

ジョン・レノンのイマジンは、まさに「ユートピア」ソングであり、彼はまさに「夢想家」である。

彼の思想は、何物をも生み出さないどころか、逆に社会を崩壊に導く偽宗教である。

聖書の神を否定すると、人間は価値も秩序も平和も失い、混乱の中に陥ることを、彼の歌は証明している。

 

 

2004年1月17日

 

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