一部の人々の罪を放置してはならない

 


ダイアナの死が暗殺であったことを示す文書が出てきた。
恐らく、これは真実だろう。

英国国教会に、ホモの司祭が誕生するという。

これらの2つの現象は、互いに連動している。

つまり、イギリスは堕落したということである。

神の御前に、ある国の国民は、一つの肉体として立っている。国家の契約は、国民を
一つの肉体にまとめあげる。なぜならば、神がそのようなものとして国家を見ている
からである。

国民は互いに対して、体の部分であり、それゆえ、ある部分が堕落すれば、他の部分
も影響を受ける。

一部に癌があるのに、私の体は全体的に健康です、と宣言できる人がいないように、
一部に発生した癌を放置する国家は、全体が死んでしまうのである。

これが、聖書の契約思想である。

つまり、契約とは、肉体の共有を前提として成立するのである。

一つの約束事によって集まり、成立している集団は、一つの有機体=肉体であり、神
に対して集団的責任を負っている。だから、一部は悪いけど、私は知りません、とは
言えないのである。

家族にしても、国家にしても、教会にしても、一部の違反と罪を許容する団体は、全
体が裁かれるのである。

からだを守るために切除手術が必要なように、我々は、その悪い分子を切り捨てる必
要がある。切り捨てたくなければ、彼らを説得して悔い改めさせるべきである。

とにかく、放置はできないのである。

 

 

2003年10月29日

 

 ホーム

ツイート

 

millnm@path.ne.jp