政教分離・宗教的中立など存在しない

 


政教分離を唱える人々の根本にある問題は、宗教の定義が厳密ではないということで
ある。

何かの特定の名前のついた宗教を信じていなければ、その人は宗教者ではないと考え
ているのである。

だから、特定の宗教に加わっているわけではない今日の政府も、自分を「無宗教」と
考えているわけである。

しかし、「特定宗教に帰依しているかどうか」で宗教を信じているかどうかが判断で
きるわけではない。

もしそのような判断が可能ならば、政府は特定宗教の信念や活動と一致、もしくは、
対立することなど一切ないはずである。

しかし、実際には、政府は、宗教の教義や活動と一致したり、対立したりしている。

オウムやライフスペース、パナウェーブの事件がそれを証明している。

政府は、これらの宗教の特定教義を否定したではないか。

たとえば、「自分たちの団体の教義を適用して人をポアするのは殺人だ」と述べるこ
とによって、政府は、オウムの宗教教義を批判し、否定したのである。

つまり、政教分離を唱えながら、政府は宗教に介入したのである。

政教分離を唱える人々は、なぜこの行動を「これは、政教分離に違反する」と非難し
ないのか?

政教分離は幻想である。

どの政府でも、どの法律でも、宗教的でないものは存在しない。

科学的証明を経ていないことを、無根拠に、断定的に主張し、信じるものはすべて宗
教なのである。

人間や組織が生活していく上で、すべてのことを実証的真理「だけに」基づいてやっ
ていくことなど不可能である。

我々はみな、実証的に証明されてもいないことを無根拠に信じ、それを適用しながら
生活しているわけである。

会社の採用試験において、ペーパー試験だけではなく、面接を重視するのは、「直感
的・経験的判断」を尊重しているからである。数字やデータだけでは分からないもの
を、人間の体験から来る直感的判断をもとにして知ろうとするからである。

あらゆる人間、組織は宗教的である。

だから、政教分離は幻想であり、宗教的に中立などというものも存在しないのであ
る。

 

 

2003年11月5 日

 

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