セオノミー批判者の誤解

 


旧約律法を社会に適用する、と我々が主張すると、「再建主義が政権をとると、姦淫者や同性愛者を処刑するのか」と考える人がいる。

このような誤解は、「律法を適用されるべき社会は、神と国民契約を結んだ社会だけである」という聖書の背景知識がないから起こるものである。

<神の民と異邦人の統治体制の違い>

「ある会社が、就業開始時刻に遅れた人を非難した。」という事実がある場合、我々は、当然、「その人は社員なのだろう」と推測する。

社員でない人間を、自社の就業規則によって拘束する会社などない。

旧約聖書において、神は人間を2種類に分けて、2つの支配体制をそれぞれに適用しておられる。

(1)神民――イスラエル人
(2)非神民――異邦人


(1)神の民は、シナイ山で、神がモーセと結んだ契約によって支配されている。

 民は、モーセ律法を提示されたときに、「それらを守ります」と言った。

「モーセは行って、民の長老たちを呼び寄せ、主が命じられたこれらのことばをみな、彼らの前に述べた。すると民はみな口をそろえて答えた。『私たちは主が仰せられたことを、みな行ないます。』それでモーセは民のことばを主に持って帰った。」 (出エジプト記19・7-8)

「そこでモーセは来て、主のことばと、定めをことごとく民に告げた。すると、民はみな声を一つにして答えて言った。『主の仰せられたことは、みな行ないます。』」(出エジプト記24・3)

それゆえ、神はモーセ律法によって、民を評価し、支配された。

(2)
異邦人は、神と国民契約を結んでいなかったから、モーセ律法によって裁かれることはなかった。


<異邦人と律法>

それでは、神が、ソドム・ゴモラの人々や、エドム人や、アッシリア人などを律法によって裁かれたのは、なぜか?という疑問が起きる。

これは、異邦人であっても、広義の「神の民」であるからだ。

全人類は、一人の人アダムの子孫であり、アダムにおいて結ばれた契約は彼らに適用される。

律法は神の御心を啓示しているので、その「善悪の基準」は異邦人にも適用される。

<神民と異邦人の統治方法>

次に、狭義の神の民であるイスラエル人と、広義の神の民である異邦人に対する支配の方法は、どのように異なるのか、という問題が起きる。

その違いは、「神はイスラエルに、モーセ律法による自己統治を命じられたが、異邦人はそのように命令されなかった」という点にある。

神は、エジプトから解放されたイスラエル人に「モーセ律法=自由の法」を与え、それに基づいて自己統治せよ、と言われたが、異邦人に対しては、神が、「自律的な法律=不自由の法」によって縛られるままにし、奴隷の体制にとどまることをよしとされた。

サムエル記において、イスラエルの自由と異邦人の不自由を比較できる。

サムエルは、王を求めるイスラエル人に対して、「神をしりぞけ、王を立てることは、抑圧と不自由を意味する」と警告した。

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…「あなたがたを治める王の権利はこうだ。王はあなたがたの息子をとり、彼らを自分の戦車や馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。自分のために彼らを千人隊の長、五十人隊の長として、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や、戦車の部品を作らせる。あなたがたの娘をとり、香料作りとし、料理女とし、パン焼き女とする。あなたがたの畑や、ぶどう畑や、オリーブ畑の良い所を取り上げて、自分の家来たちに与える。あなたがたの穀物とぶどうの十分の一を取り、それを自分の宦官や家来たちに与える。あなたがたの奴隷や、女奴隷、それに最もすぐれた若者や、ろばを取り、自分の仕事をさせる。あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがたは王の奴隷となる。」 (1サムエル8・14-17)
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最後の節を見ていただきたい。

「あなたがたは王の奴隷となる」

ここで、律法による自己統治が「自由の時代」であり、王制以降は「奴隷の時代」であることが分かる。

<セオノミー批判者の間違い>

セオノミー(旧約律法を社会に適用することを主張する立場)を批判する人々が誤解しているのは、

――律法は不自由をもたらし、自律法は自由をもたらす――

という、サタンのウソをまに受けているからである。

聖書が一貫して主張しているのは、「真理は人を自由にする」ということである。だから、神の法は、人間を自由にするのである。

「姦淫者や同性愛者を処刑するのが自由なのか」というだろうが、彼らは、姦淫者や同性愛者が束縛されていることを知らないのである。

ピアノをめちゃくちゃに弾く人を「自由でいいなあ」とあこがれる人がいるだろうか。

普通我々は、ピアノ演奏の技術を訓練してショパンをよどみなく弾く人にあこがれるのである。

旧約律法を守る人は、ピアノの達人に似ている。

旧約律法において達人になった人は、最も自由な人々なのである。神は人々を自由にするために、イスラエルに旧約律法をお与えになったのだ。

それに対して、異邦人は、文字通りバーバリアンであり、彼らが行使する自由とは、ピアノをめちゃくちゃに弾いて、つまらないと感じると、それをハンマーで破壊することである。

姦淫や同性愛を自由と考える人は、バーバリアンである。

神は、我々を本当の自由に導くために、旧約律法を社会に適用せよ、と教えているのである。

 

 

2004年1月14日

 

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