携挙を物理的現象と考えることは非聖書的か?


谷口先生が、ジョージ・ラムサという学者による聖書のイディオムに関する本Idioms in the Bible Explained: And, a Key to the Original Gospels
(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0060649275/qid=1076029545/sr=1-5/ref=sr_1_8_5/249-0402558-9037166)を紹介してくださいました(再建主義ML参照)。

その本の中で、テサロニケの携挙の個所で、「雲の中に一挙に引き上げられ」というのはそれが「すぐに起こる」ということのアラム語的表現であり、文字通りのことではないと言っているそうです。また「空中で主と会う」は「いそいで主を歓迎する」という意味だそうです。

この本を注文したばかりで、まだ読んでいないので、はっきりしたことはいえないのですが、さしあたり、疑問点を述べてみたいと思います。

テサロニケの該当個所:


主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。


「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに」は、黙示録や預言書などにある、「黙示文学的表現」であり、文字通りの解釈はできませんので、「雲の中に一挙に引き上げられ」も「空中で主と会う」も、文字通りの解釈ができないということはいえるかもしれません。

しかし、

「雲の中に一挙に引き上げられ」が「すぐに起こる」という意味であり、「空中で主と会う」が「いそいで主を歓迎する」という意味であるならば、この個所は、

「次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょにすぐに起こり、いそいで主を歓迎します。」

という意味不明の文章になります。

詳しくみると、



(4)のειs αεραがアラム語の慣用表現で、「直ちに」という意味であるならば、ここは、

「ただちに主を迎えるために」

と訳すことができます。

(ειs απαντησιν + 属格は、「〜を迎えるために」のイディオム)


問題は、(3)ですが、

これが、「すぐに起こる」という意味であれば、

(2)αμα συν αυτοιs(彼らとともに)

はどう解釈するのでしょうか。

「彼らとともにすぐに起こる」?

αρπαγησομεθα εν νεφελαιs の

αρπαγησομεθαの現在一人称単数αρπαζωは、「つかまえる、ひったくる、強奪する、奪い取る、奪い去る、さらって行く、(暴力で、むりやりに)連れて行く、つかまえて連れて行く」(織田『ギリシャ語小辞典』)という意味です。

これは、慣用句と考えずに、

(4)とあわせて、「ただちに主を迎えるために、彼らとともに、雲に乗って連れて行かれるだろう」と訳したほうが(2)を無理なく取り込めます。


もう一つ、この個所を、携挙という物理現象と解釈しない場合に起こる問題は、「イエスが昇天されたのは物理現象ではなかったのか」という疑問が生じるところにあります。

明らかに、使徒1章において、イエスは、弟子達の目の前で天に昇っていかれたと記されています。

このような出来事があったとすれば、イエスと連なるクリスチャンにも同じことが起こらないとは限りません。

実際、聖書には、エノク、エリヤが同じように生きたまま天に上ったと記されています。

物理的携挙を文字通り解釈することは、非聖書的とはいえないでしょう。

 

 

2004年2月6日

 

 ホーム

ツイート

 



millnm@path.ne.jp