マックス・ウェーバーの誤解


<hm様>

返信ありがとうございます。また毎回くわしく、丁寧な回答をしてくださり感謝
です。

ちょっと個人的な質問をします。富井先生はドイツの社会学者マックス・ウェー
バーについてどうお考えでしょうか?なぜこんな質問をするのかというと実は僕
が改革派系の教会にいったのは大学で経済を専攻しているのもありその関連で彼
の著作「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読んだことがきっか
けでして。

かれは資本主義が発達したのはカルヴァン主義者が自分は神様に選ばれているか
どうかわからない不安さから解消されがたいために、たえまない労働を行うつま
り体験を通して、自分は選ばれている!という確証を得ることによって発達した
みたいなことを前述の著作で書いておりまして。

でも私が所属している教会ではそんなことはなくて牧師先生も「改革派は神様の
恵みに感謝するだけであんまり献金や伝道はしないからねー」みたいなことを
言っていて。証もあんまりしないし。規範は御言葉であり、人の体験ではないと
いうのが改革派の教理というか伝統らしくて。

ウェーバーはドイツ人ですがクリスチャンでなかったからこのように説明してい
るかもしくは16世紀から17世紀の欧州のクリスチャンのみに焦点をあててい
るからこのようにいっているかなと考えています。

ただクリスチャンとりわけカルヴァン主義プロテスタントが資本主義を発達させ
たという説には僕も大賛成です。それは韓国やアメリカなど熱心なプロテスタン
トが多い国ほど経済的に豊かであるのをみても。

それと富井先生のウェーバーに対する評価というか彼についてどう考えているか
知りたくて。

ホント個人的な質問ですからわざわざ返信しなくてもかまいません。

それでは失礼します。

<tomi>

ウェーバーについては詳しくないですが、『プロ倫』を読んで感じたのは、彼が心に描いているカルヴァン主義者のイメージと、実際に自分が触れている人々とが大きくずれているということでした。

しかも、彼は、そのような描き方をどうしてしたのか、証拠文献を挙げていません。

これは私にとって非常に不思議でした。あれだけの大学者が、どうしてカルヴァン派を描く時に、証拠を挙げないのだろう、と。

クリスチャンでない人は、クリスチャンが内面に持っている神様との「親和的関係」が理解できません。これは、決定的な弱点であり、彼のお母さんがたしかクリスチャンだったと思いますが、しかし、自分自身で聖霊によって注がれる神の圧倒的な愛を体験していないから、「選ばれているかどうかの不安から労働にいそしんだ…」などという、トンチンカンなことを言うのだと思います。

ウェーバー研究で日本の権威の一人Y教授が、この労働のいそしみと禁欲から発展して、フロイトの禁欲との関連性について講義していたのを思い出します。

神と人間との内的な世界を、経済的、心理的、政治的に分析をしても、所詮、水に潜らないで海洋生物の生態を調べているようなもので、どこまで行ってもトンチンカンです。

私は、カルヴァン派がどうして、資本主義の成立において大きな力になったのか、を説明する上で大切なのは、「選びの確信」ではなくて、「律法」だと思います。

ピューリタンにおいて、「清潔」とは、「律法に従うこと」を意味していました。なぜならば、カルヴァン派は契約神学であり、律法を契約の中心に据えるからです。

彼らは、クリスチャンとしての成長は、「聖霊に満たされることによって律法の要求をまっとうする」ことであると考えていた。

アメリカの家庭に行ってびっくりするのは、驚くほど清潔なことです。どこをひっくり返しても埃がない。アイロンをかけてズボンの折り目をきちっとつける。彼らが黒人を軽蔑するときに、「彼らはこういうことができないからダメだ」と言います。

一日に2,3回もシャワーを浴びて、髪はきちんとなでつける。ヒッピー運動から乱れたとは言いますが、それでも、こういった折り目正しさを美徳と見るピューリタンの伝統は生き残っている。

日本にいた時に、イメージしていたのは、アメリカ人は大雑把だ、ということでしたが、実際に生活を見ると、本当に秩序正しくて、若者でも考え方が「大人」です。

もう18,19の高校生が、社会人としての自覚を持っているし、人前での振舞い方もしっかりしていて、甘えがない。

もちろん、これは、クリスチャンコミュニティでの話ですが。

18世紀のリバイバル運動以前まで、アメリカはピューリタンの契約主義が社会を基礎付ける主要なパラダイムだった。そして、それは、「法を守る」ことにおかれていました。

カルヴァン主義における、「法と恩恵」の調和(つまり、恵みを受けたから何をしてもよいと言うのではなく、恵みは律法を守って神の栄光を表す秩序正しい生活をすることだと考える)こそが、ヨーロッパにおけるカルヴァンの諸国の勤勉と経済的発展の土台となったと思います。

ウェーバーの理論では「カルヴァン派の人々は救いの確信を得られず脅迫されながら働かされていた奴隷」のように見られていますが、実際のカルヴァン派のクリスチャンは、「自分が救われていることを確信し、その救いの恵みを法を守ることによって表現しよう」と考えていると思います。

事実、私がこれまで接してきたカルヴァン派の人々はそのような人々でしたので。

 

 

2004年3月2日

 

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