6日創造説を唱えよう


教会で進化論批判はよく聞くが、非6日創造説批判を聞くことはまれである。

しかし、よく考えてみれば、進化論を否定するならば、非6日創造説などを信じる理由はまったくないのだ。

そもそも、進化論は、「神の創造によらずに、自然発生によって徐々に生物は形成された」とする説である。しかし、いくら時間があったとしても、生物が今日の形にまで進化する可能性はゼロなのだから、地球歴史の時間を長く設定する必要は「まったく」なくなる。(*)

つまり、ひとたび進化論を否定したら、「地球歴史は○○億年だった」ということを支持する理由は完全になくなるのだ。

我々の選択は、「神の瞬間創造か」それとも「偶然による数十億年か」しかない。その中間を取って、「神の創造は、何億年もかけて進んだ」と考える必要はまるでない。

それゆえ、我々クリスチャンは、聖書の言うとおり、「神は6日で世界を創造された」と主張しなければならない。

今日、なぜ6日創造説を唱えることにクリスチャンが躊躇しているかと言えば、それは、「ノンクリスチャンに面子を立てたい」という願望が少しでも残っているからである。

6日で創造されたと言うと、「え〜!バカじゃない?」って反応されるのを恐れているからだ。

バカにされてもいいではないか。神は、数十億年かけて徐々に生物を存在せしめた、と主張することのほうが、実際は、もっとバカげているのだから。

単細胞生物という途方もなく複雑な組織を短時間で創造できるなら、なぜ全生物を短時間で創造されないのか。

クリスチャンよ、徹底しよう。

我々の浅知恵を捨てて、6日創造説を唱えよう。


(*)
たとえば、すでに何度も述べたが、光合成の成立において、その中で利用される酵素のたんぱく質一つが偶然に出来るために必要な年数は、天文学的数字になる。


そこで、チャールズ・ユージン・ガイ博士が、原子がランダムに集まって、最少の原子(炭素、水素、窒素、酸素)からなるたんぱく質分子1個を作る確率を計算した。注意していただきたいのは、博士は、92元素全部の成立や生命の誕生の確率についてではなく、「単一のたんぱく質分子」の成立についてだけ計算したのである。

その結果、偶然の作用によって、たんぱく質分子1個が生まれるのに必要な原子の集合は、その中心から出発した光が10の82乗年かかってやっと表面にたどりつくほど巨大な球体になったという。しかし、現在の推定では、宇宙の大きさは、半径10の9乗光年である。

地球の大きさの天体において、偶然にたんぱく質分子1個ができることを期待すると、10の243乗年かかるという。地球の年齢は、10の9乗年といわれているので、生物の進化の動因を偶然に求めることがいかに愚かかがわかる(Lecomte du Nouy, Human Destiny (New York: Longmans, Green, 1947), p. 34; cited ibid., p. 375.)。

たんぱく質一個ですら、10の243乗年かかるならば、偶然に光合成が成立する可能性は圧倒的にゼロである。

光合成は、生物世界のごく一部でしかないのだから、他の生物世界が偶然に今日のようになった可能性はそれよりも小さい。つまり、ゼロである。

 

 

2004年3月1日

 

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