『福音と世界』(2003年12月号)栗林輝夫氏のエッセイ「宗教右翼は神国アメリカをめざす――統治の神学、キリスト教再建主義、セオノミー」への反論 その12

 


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アメリカはキリスト教プロテスタントの国だ。利己哲学を説いたベンジャミン・フランクリンを除けば、「建国の父」(ファウンディング・ファーザーズは誰もが皆、熱心な福音派クリスチャンだった。今こそ家庭、地域、学校に神を敬う心を復興し、行政、立法、司法、いや社会の隅々にわたって、聖書の教えに基づいた国家精神を復興すべきである、と。

そしてイラク戦争で愛国主義の鼓舞に成功した彼らは、新保守主義者(ネオコン)を通してホワイトハウスに強い影響力をもつにいたった。かれらは司法、立法、行政の三権を統治する見通しがようやくついたと考えているのだろうか。最強の軍事力を背景に単独主義(ユニラテラリズム)に傾くアメリカの外交と、テロ撲滅のためには先制攻撃も辞さないと公言する大統領。それを背後で支える宗教右翼の神学は、もはや傍観しえない「今、そこにある危機」になったように映るのである。


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「宗教右派は、復古主義だ、だから、そのシンクタンクといわれる再建主義も復古主義だ」と結論するのはあまりにも単純で安易である。また、再建主義を宗教右派の「愛国主義」と混同するような書き方も非常に大きな誤解を招くので、控えてもらいたい。

再建主義者でも、ラッシュドゥーニーやハーバート・タイタスは、アメリカの設立の歴史をクリスチャンによる神の国建設の一環としてとらえ、建国の父たちがクリスチャンであったと考える傾向があるが、オットー・スコットやゲイリー・ノースらは、それを完全に否定している。
実際、ゲイリー・ノースやオットー・スコットは、ワシントンら建国の父たちの多くはフリー・メイソンであり、合衆国憲法は、アメリカをクリスチャンの国家にしないために入念に仕組まれた計略の産物であると考えている。

http://www.millnm.net/qanda/fmasonry.htm

ゲイリー・ノースは、「アメリカの諸州と、独立宣言は、最初『聖書の神』を主権者として認めていたが、連盟規約 [訳注:アメリカ合衆国を結成した13州の最初の憲法(1781年)]から、合衆国憲法に移行する過程で、宗教的中立の政体に変化していった」と言う。

「連盟規約は、聖書の神があらゆる政府の主であることをはっきりとは否定しなかったし、また、認めてもいなかった。いくつかの州の憲法は、それを認めていた。そのため、国民政府は、契約的混合体であり、1788年以前の国民政府は連盟であって、統一国家ではなかった。それは、中途半端な契約であった。

…合衆国憲法は、これよりもはるかに首尾一貫していた。連盟規約が積極的には認めようとしなかったものを、憲法は積極的に否定した。つまり、国民政府の公務員を選り別ける道具として宗教的な宣誓を行わせることは、非合法である、と述べたのである。これこそ、[アメリカが] 旧い三位一体論者の国家契約から、数十年後に、背信的国家契約に移行したことを象徴する出来事であった。

建国の父たちは、国民政府を正式に生み出した独立宣言を公然と無視した。というのも、彼らは、主権在民(the sovereign People)という神話を支持したが、独立宣言は、繰り返し神に言及していたからである。こうして、独立宣言も連盟規約もアメリカの法的伝統と手続きのシステムの中から姿を消し、連盟規約はアメリカの政治思想から消滅した。」(Gary North, Political Polytheism, ICE, 1989, p.379.)

この文章を読んでも、なお、アメリカの再建主義者を、自国の美化された過去に帰ろうとしている復古主義的「極右」として描こうとするだろうか。

 

 

2003年12月15日

 

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