イラク占領を肯定するならきちんとした悔い改めを行ってからにすべき

 

<Q>

 

先生の証をありがとうございました。

 

今回のイラク戦ではディスペンセイション派の人はほとんどアメリカを支持しており、その理由はイスラエルの利益(=フセインの脅威の排除)であり、そのためには手段を選ばずのようです。しかしそれによって神の地上における統治の秩序を破壊し、神の律法を無にしていることに気がついていません。

 

神の手段はつねに義であるはずですが、彼らはイスラエルの大義名分によって、神の義を損ねています。最近ではアッシリアの出身のケン・ジョセフなるクリスチャンがTVによく出ており、最初は反対であったが、イラクに行ったところ民衆はアメリカの爆撃を歓迎していたので、自分は間違っていたとして、”I Was Wrong”とかいう本を書いているようです。下のディスペンの先生はそれを大いに歓迎しているようです。

 

今回のアメリカは神の統治の権威と秩序を乱しましたから、ますますテロは潜伏化すると見ています。おそるべし、メガネをかけて聖書を読みつつ、自分はメガネをかけていないと主張する人々は。先生の孤独な叫びはエレミヤを彷彿とします。

 

恵が豊かにありますように。

 

 

<A>

 

ストレイ・シープ様

まことにすばらしい情報をありがとうございました。

ご説にまったく同意いたします。

 

聖書が教えるキリスト教は、人間の力ではなく、神の義によって、世界を変えるべき、と教えているのに、ブッシュ大統領やディスペンセーショナリズムの人々は、武力で世界を変えようとしています。

 

これは、まさしく「塩気を失った塩」であり、これではクリスチャンであることの意味がなくなってしまいます。武力で何でも解決すると言うならば、共産主義者でも、帝国主義者、軍国主義者でも同じことを言いますから。

 

パウロは、どんなに野蛮なローマ人であっても、自分の上に立つ権威としてその権威にしたがって裁判を受けることを望みました。聖書は一貫して、やむを得ぬ場合を除いて、秩序を暴力的に破壊することを禁止しています。

 

ダビデは、どんなに悪い王様であり、自分の命を狙って苦しめていても、けっしてサウロに手をかけようとはしませんでした。ダビデは「神を恐れていた」と聖書は述べています。そして、ダビデの前で手柄を立てようとしてサウロを殺した男を処罰しました。

 

ダビデを倒そうと革命を起こしたアブシャロムは、結局、剣に倒れました。

 

モーセに逆らったコラや、ミリヤムは、裁きにあいました。

 

ここに流れる思想は、一貫して「神が立てた権威を軽んじるな」ということです。

 

マスコミに登場して脚光を浴びるクリスチャンの中には、私生活において、とてもクリスチャンとは思えないような人がいますが、こういう人の発言が良識ある人々の心の中に、「クリスチャンは好戦論者だ」というイメージを作り出していることは非常に残念です。

 

たとえイラクの人々がフセインの排除を望んでいて、喜んでいたとしても、それが、開戦のいきさつを正当化できるわけではありません。

 

きちんとした悔い改めを行って、スジを正した上ででなければ、悪い証になると思います。

 

お励ましを感謝いたします。

 

2003/12/23

 

 


millnm@path.ne.jp