御言葉に有効期限はない

 


現在、我々を攻撃するクリスチャンが信じているのは、キリスト教ではなく、キリスト教をカントやヘーゲルというてんぷら粉で揚げたものである。

よくクリスチャンが言う「現在において、そのような奇跡など期待できない」とか、「そのような霊的現象、預言などは、現在には起こらないのだ」とかの言葉は、まさしく、「時代によって神の働きは異なる」と考えるディスペンセーショナリズムの影響である。

ディスペンセーショナリズムは、1830年代、いわゆる世界が「ヘーゲルによって再構築された」時代に生まれているので、ヘーゲル主義の影響を濃厚に受けている。

ヘーゲルの思想は、「世界は時代を経るごとに進化する」という考えで、これを社会に適用したのがマルクスであった。社会は、相対立する要素が統合される過程の中で進化し、ついに共産主義社会が出現する、と予言した。

この「時代を経るごとに進化する」という考えはキリスト教の中にも入り、ディスペンセーショナリズムという形になったと思われる。

ディスペンセーショナリズムは、歴史を7つの時代に区分する(人によって時代の数は異なる場合がある)。そして、一つの時代において失敗したら、まったく異なる時代がはじまり、神はまったく異なる原理で人々を取り扱う、という。

この思想は、巧妙なサタンの罠である。

なぜならば、聖書を時代によって細切れにしていくのだから、聖書の言葉を「恣意的に」適用させないことにお墨付きを与えているからである。

たとえば、偽証癖のあるクリスチャンは、「偽証を禁じる戒めは、『律法の時代』だけに通用するのであって、今は別の時代だから…」と言って言い逃れることができるわけだ。

これは、「御言葉の永遠性」と矛盾する。

イエス・キリストは、「律法の一点一画たりとも天地が滅びるまでけっして廃れることはない」と言われたのだが、ディスペンセーショナリストは、御言葉に有効期限を設定することによって、この教えを反故にしている。

「地を従えよ」と唱える我々に対して、ディスペンセーショナリズムは、「それは、統治の時代に通用した教えであって現在は無効だ」と言う。

このようにして、サタンは、神の言葉を無効にしているのである。

 

 

2003年12月5日

 

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