ディスペンセーショナリストのユダヤ人の講義

 


先日、メシアニック・ジューの講師のメッセージを聞きに行った。
黙示録7・2の「日の出るほうから上ってくる御使いが生ける神の印をもって」という個所の「日の出るほう」は、日本を指している、という。

しかし、残念ながら、もしこの個所が、我々の時代よりも未来の出来事だと言うならば、その後に起こる黙示録13章の「666の獣」も未来の人物だということになる。

だが、この666の獣については、ヨハネは、「思慮ある者はその獣の数字を数えなさい」とこの人物について特定するように読者に命じている。

ということは、黙示録の読者であるアジアの七つの教会(1・4)の人々は、「類推することが無益な人物について類推するように命じられた」ということになるのである。

これは明らかに黙示録の意図「紀元1世紀のアジアの七つの教会の信者への励まし」(1・4)を裏切るものである。666は、当時の人間なのである。文脈から判断すると、ローマ皇帝以外には考えられない(参照:http://www.path.ne.jp/~millnm/666.html)。

となれば、時系列的に前と位置付けられている黙示録7・2の個所が、我々の時代よりも未来のことであると考えることはできない、ということになる。

今日、ユダヤ人クリスチャンのほとんどは、ディスペンセーショナリストである。そのため、たとえ彼らがユダヤ人であったとしても、彼ら自身が「異邦人神学」の強い影響のもとにあるため、謬説を信じきっていることが多い。参考にならないのである。

ユダヤ人クリスチャンのうちでも、改革派神学をきちんと踏まえ、プレテリズムの解釈を熟知している人間でなければ、黙示録の講解を聞いてもあまり役に立たないことが多い。

再建主義者のシュリセルは、その点非常に高い学識を備えているので傾聴に値するといえる。

 

 

2003年11月27日

 

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