神を恐れて欲しい

 

私は、派閥とか、人脈というようなものに、もともと性格上疎い人間である。
だから、上司からはよく誤解された。
私は、まったく敵意がないのだが、自分でこれと信じたものを曲げないので、上司から見れば生意気に見えるのだろう。
そもそも、思想とか教えの問題は、人間や組織の中心であり、それについて意見が異なる場合の結末は、すなわち、上司が出るか、こちらが出るかの二者択一しかないように思える。
どんなに努力しても、いったん、教理上の違いが出た場合、一致は非常に難しい。

そして、プライドの高い人間ほど、教えに関しては命をかけてでも自分の立場を守ろうとするから、私が一切譲歩しない場合に、相手は非常手段に出ることが多い。

つまり、陰謀をめぐらして、私を追い出すのである。

神を恐れる人ならばよいが、そうでなく、霊的な世界についてまったく無知な人の場合、平気で他者を中傷し、貶め、ウソをつくから、こういった人々は、例外なく、神の裁きを受けて致命的な没落を経験することになる。

私は、自分の立場が絶対だとは思っておらず、より高い真理が現われれば、今までの人間関係や組織を捨ててでも、そちらにつく準備があるから、いつでも公開討論に出る準備がある。

だから、私と異なる意見を持ち、しかも、それを公開討論の場所において戦うつもりもなく、心の奥底において自分の意見の正当性に疑いを持っているのだが、しかし、富井を否定したいと望んでいる人は注意して欲しい。

あなたは、サタンに憑依される直前だ。

とんでもないことをやったり、ご乱心を行って、自分の職業生活や家庭生活を自分で目茶目茶にすることになる。

これは、私を中傷によって貶めた人が共通してたどった道であった。

神を恐れて欲しい。そして、頑固な部分があるならば、素直に悔い改めて、正しい意見に従って欲しい。

聖書から証明できないような思想を信じているならば、すぐさま捨てて欲しい。

頑固にそのようなものを持ちつづけることは、神に宣戦布告することに等しい。

自分の心を低くし、へりくだる以外に、破滅から逃れるすべはないだろう。



私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。
私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、
また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。
あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもまたキリストに属しているということを、もう一度、自分でよく考えなさい。
あなたがたを倒すためにではなく、立てるために主が私たちに授けられた権威については、たとい私が多少誇りすぎることがあっても、恥とはならないでしょう。
私は手紙であなたがたをおどしているかのように見られたくありません。 (2コリント10・4-9)


 

 

2003年08月07日

 

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