復活後の結婚

 

> イエスはサドカイ人たちの例話に対して答えをされました。
> 御使いが引き合いにだされたのは、彼らは(肉体的に)死んだ人々だったからです。
>
> マタイ22:28〜30
> 「すると復活の時には、この女は、七人のうちだれの妻なのでしょうか。みんながこ
> の女を妻にしたのですが」。イエスは答えて言われた、「あなたがたは聖書も神の力
> も知らないから、思い違いをしている。。復活の時には、『彼ら』(八人)はめとっ
> たり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使いのようである。
>
> マルコ12:23〜25
> 復活のとき、『彼ら』がみなよみがえった場合、この女はだれの妻なのでしょうか。
> 七人とも彼女を妻にしたのですが」。イエスは言われた、「あなたがたがそんな思い
> 違いをしているのは、聖書も神の力もしらないからではないか。『彼ら』が死人の中
> からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる
> 御使いのようなものである。
>
> イエスは一般的な話しをされたのではなく、サドカイ人たちが持ち出した、死んだ八
> 人の話しに答えをされたのです。
>
> 生きている人は別のことがらになります。

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これまでの流れ:

(1)フルプレテリズム(正確に言えばプレストン師)は、「聖書は、紀元70年に復活が完了し、その後を『来るべき世』と呼び、神の統治方法に関していかなる時代区分もなく一様である」と言う。

(2)復活が完了したというと、それでは、マルコ12・18-27の復活論議において、「復活後には結婚制度は存在しない」というイエスの言葉とどう調和させるのか、という疑問が起こる。

(3)この疑問に対して、プレストン師は、「この個所において、イエスは、結婚制度そのものの消失を説いたのではなく、レビラート婚の消失を説いたのである」と言う。

(4)それに対して、「御使いのように結婚しない」と述べられているので、話題の中心は「結婚の形態」にあるのではなく、「結婚制度そのものの廃止」にある、という反論が出た。
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たしかに、原文では、25節は「『彼らが』死人の中からよみがえるときには、…」となっています。

しかし、たとえ、この文の主語が「彼ら」であっても、「それゆえに、これは死んだ8人の人々に関する特殊な真理であって、他の人々については言えない」という事はできないでしょう。

なぜならば、この話の文脈は、サドカイ人が「復活はない」と信じており、この復活の有無に関する一般的なテーマについてイエスと議論しようとしたからです。

サドカイ人たちは、
「もし復活があるなら、復活後、レビラート婚で結婚した兄弟たちとその妻との間にどのような関係があるのか。復活後、彼女は兄弟全員の妻となるのか。そうすれば、彼らは姦淫を犯すことにならないか。モーセ律法に違反することにならないか。」ということであり、彼らが狙っていたのは、復活論議をめぐってイエスを罠にかけることでした。

この文脈から考えるならば、イエスの解答が、8人の特殊事情に関するものではなく、「復活における一般的事情」であることは疑いようがありません。

つまり、サドカイ人は、「復活はあるのかないのか」ということを問題にし、「もし復活があるならこのような矛盾が起きないか?」と、問い掛けたのです。

それに対してイエスは、「復活はある」と答え、「復活があったとしても、そのような矛盾は起きない」と答えられたのです。

その根拠が「復活後の世界においては、人は御使いのようになり、結婚制度は存在しないから」ということだったのです。

もし、ここでイエスが「『この死んだ8人が』復活しても、御使いのように、結婚しないから」という答えをしたとしたならば、「復活はあるのかないのか」という一般的復活の有無に関するサドカイ人の問いかけに答えていないことになり、文脈から大きくずれることになります。

また、さらに、もしこの答えが死んだ8人に対してのみ適用できるならば、その理由は何か?という疑問が起きます。

つまり、「なぜイエスは、この8人についてだけめとることもとつぐこともなく、御使いのようだ」と述べたのか、どうして、このことが他の死人について言えないのか、もしくは、他の生者について言えないのか、と。

結論:

フルプレテリズムは、「来るべき世」を一様なもの、その中に時代区分がまったく存在しないもの、と述べることによって無数の矛盾を抱えることになります。

「来るべき世」はけっして一様ではなく、「からだの復活前」と「からだの復活後」の2つの時代があるのです。

まだ再臨もからだの復活もない時代においては、結婚制度はまだ続いています。クリスチャンは、結婚制度を通じて、子孫を増やし、神の福音と文化命令を遂行するために戦います。

再臨があり、からだが復活したら、結婚制度は不要です。増える必要がないからです。選びの民の数は永遠の昔から固定されており、歴史の中で福音が広まり、その数が満ちれば永遠の世界が到来します。


 

 

2003年08月05日

 

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