礼拝と性行為

 

再建主義者ジェームズ・ジョーダンがかつて、「出エジプト記において門柱や鴨居に塗られた血は、出産の際に女性の性器の回りにつく血を表す」と言ったため、物議をかもしたことがある。発言を問題視した人は彼を戒規に問うべきだと訴えた。

この発言には首肯しかねる部分があるが、しかし、聖書は明らかに、女性性器は神殿の象徴であり、礼拝行為と性行為には深い繋がりがあると述べている。

神(キリスト)は花婿であり、イスラエル(教会)は花嫁である。

偶像を礼拝したイスラエルに対して、神は預言者を通して、「姦淫を犯した」と言われた。

「あなたは、わたしが与えた金や銀の美しい品々を取って、自分のために男の像を造り、それと姦淫を行なった。」(エゼキエル16・17)

永遠の大祭司キリストがご自身の血を携えて、神殿に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのは、キリストと教会の結婚が成立したことを象徴する。

キリストが十字架で贖いを成し遂げた時に、真の礼拝が成就し、聖所と至聖所の間を隔てる垂れ幕が裂けた。これは、キリストが処女である教会と結婚したことを象徴している。

もし、神の神殿である教会がキリスト以外の者を中に入れるならば、霊的姦淫と呼ばれる。

割礼は、契約に相応しい状態に整えられたことを象徴している。包皮がある陰茎は、結婚に対する未熟な状態を象徴し、それゆえ、ノンクリスチャンの霊的状態を象徴する。

包皮を取り除かれることによって、神と結婚するイスラエルの一員として相応しい状態になったことが表現されているのである。

律法において、姦淫が重罪であるのは、神と教会の契約的関係の象徴を毀損する行為だからである。


 

 

2003年07月15日

 

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