インターネットによる自然淘汰

 

インターネットがなかった時代は、異なる立場の信仰や教えについて、なかなか情報が入らなかった。
自分が信じてもいない宗教や信仰の本をわざわざ書店にまで足を運んで買って読む人はあまりいないだろう。
いわゆる「食わず嫌い」が通用する時代だった。

しかし、インターネットによって、異なる信仰の立場に関する情報が簡単に入手できるようになり、自分が抱いていた誤解や偏見が簡単に取れるようになった。

「ああ、予定論ね。予定論は、どう転んでも選ばれた人は救われると主張するんだから、伝道なんてしなくてよいということになるんだよ。」などというトンデモない誤解は、もはや許されない。

ほぼ時差なく、しかも、ほぼ無料で相手の情報を入手することも可能だから、無知を言い訳にはできなくなった。

思想の世界も競争時代に突入したと言えるだろう。

「首尾一貫していない思想」が淘汰され、「首尾一貫している思想」が生き残るスピードは加速されるだろう。

インターネットを利用できない人と、利用できる人の間の知識と見識の差は歴然としてくるだろう。

インターネットは安価かつ簡便に情報を提供できるから、企業のバックアップがないために広めることが難しかったキリスト教教義のようなマイナーな情報も容易に手に入る。

これからの時代は、「世俗的権威」とか「年功」などに安住していた人々が次々と議論の土俵にのせられて、実力で勝負しなければならない時代になるだろう。

自分を磨こうとしない人にとっては住みにくい時代になるだろう。


 

 

2003年05月28日

 

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