イスラエルの回復預言とフルプレテリズム

 

イスラエルの回復預言はすでに成就したとする説はフルプレテリズムの専売特許ではありません。

なぜならば、改革派の中のある人々は、置換神学という立場に立ち、イスラエルを歴史的に過去のものとして扱うからです。

しかし、伝統的なアメリカピューリタンの立場は、イスラエルの未来における回復を主張していますし、ウェストミンスター信仰告白も同じように述べています。ゲイリー・ノースも同じ立場であり、彼が出版した本の中で、それを主張しています(http://www.path.ne.jp/~millnm/jew.html :これはゲイリー・デマーが書いているのです!)。

イスラエル過去回復説の最大の弱点は、すでに述べたように、現在ユダヤ人はイエスをキリストとして認めていないという事実を説明できない、という点にあります。

まずこの点をどのように説明するのか、知りたいところです。

それから、もうひとつ、重要なのは、聖書において、ひとたび契約の中に入り、選ばれた者が捨てられたままに終わると言うことは、聖書全体の主張と矛盾するということです。

実際、クリスチャンホームで育った人間が身をもって体験するのですが、神が選ばれたのに離れた人々、たとえば、クリスチャンホームにおいて育ち、洗礼を受けて、その後何かのきっかけで信仰から落ちた人々は、たとえ教会から離れてキリスト教から遠ざかっていても、やはり、神は彼らを見捨てず、信仰に回復してくださる、ということです。

この個人的な体験から、「選びの確かさ」をクリスチャンホーム出身者は感じます。

「聖徒の堅忍(Perseveranse of the Saints)」の教理のゆえに、私は、ユダヤ人が捨てられたままでいる状態は異常であると考えます。神は、「選びが人間によるのではなく、神の側の憐れみによる」という真理を示されるために、「契約の誠実」を実行し、ユダヤ人を民族として回復してくださると考えます。

 

 

2003年11月23日

 

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