日本に関する仮説5

 

鳥と日本には奇妙な関係があると常々考えてきた。

鳥のイメージは、神社にふんだんにある。
鳥居は、文字通り鳥が居るところである。
鳥居は門番をする鳥を象徴しているのだろう。

この「鳥=門番」のテーマは、他の古代宗教にも見られる。
バビロニアの神殿の入り口を守る2人の門番には羽が生えていた。

これは恐らく、エデンの園の前に置かれた門番であるケルビム(天使)から来ているのだろう。

聖書では、鳥は「保護」の象徴として描かれている。
天地創造の際に、聖霊は鳥のように生まれたばかりの地球を守っていた。

「地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。」(創世記1・2)

「動いていたme-raheph-eth」のrahephは、英語のhover(鳥・ヘリコプターなどが「舞う」) にあたる言葉で、この個所は「神の霊は水の上を舞っていた」と訳すべきである。

このrahephは、申命記32・11において、猛禽が雛鳥の上を舞って世話をする様子を描写するのに用いられている。

「主は荒野で、獣のほえる荒れ地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。わしが巣のひなを呼び覚まし、そのひなの上を舞かけりye-raheph、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。」(申命記32・10ー11)

ある辞書は、raheph は「母鳥がひなを育てる、保護する」という意味も含まれると述べている。

他の個所で、鳥の翼は、「避難所」を象徴している。

「…あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」(ルツ2・12)

契約の箱の上に置かれたケルビムは、契約の箱全体を守る役割を果たしているのである。

「ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で『贖いのふた』をおおうようにする。互いに向かい合って、ケルビムの顔が『贖いのふた』に向かうようにしなければならない。」(申命記25・20)

また、至聖所の中には大きなケルビムの像が至聖所全体を守るものとして置かれている。

「そのケルビムは奥の神殿の中に置かれた。ケルビムの翼は広がって、一つのケルブの翼は一方の壁に届き、もう一つのケルブの翼はもう一方の壁に届き、また彼らの翼は神殿の真中に届いて翼と翼が触れ合っていた。」(1列王記6・27)

また、至聖所に入るための垂れ幕にはケルビムが門番として織り込まれていた。

「青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で垂れ幕を作る。これに巧みな細工でケルビムを織り出さなければならない。…
その垂れ幕を留め金の下に掛け、その垂れ幕の内側に、あかしの箱を運び入れる。その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。」(出エジプト記26・31-33)

ケルビムは、幕屋や神殿のあらゆる部分に現われていた。

「幕屋を十枚の幕で造らなければならない。すなわち、撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、巧みな細工でそれにケルビムを織り出さなければならない。」(出エジプト記26・1)

「神殿の周囲の壁には、すべて、奥の間も外の間も、ケルビムの彫刻、なつめやしの木と花模様の彫り物を彫った。」(1列王記6・29)

これは、幕屋や神殿全体が天使によって守られていることを象徴している。

神社の屋根の縁にある×の形に交差した2枚の板は、鳥の羽を象徴しているという。恐らく、神社全体を鳥が守っていることを表しているのだろう。

神社は、ユダヤの神殿と同じように、鳥によって守られている。神社の境内に入るときに、鳥居をくぐらねばならない。神社で奉仕する神官たちは烏帽子をかぶっている。境内全体が鳥の監視のもとにある。お神輿の上にある鳳凰は、契約の箱を守るケルビムに由来するのだろう。

私の仮説「日本は世界の至聖所である」が正しいとすれば、日本は鳥によって守られているはずである。

昔の日本人は、神官だけではなく、貴族も武士も庶民も烏帽子をかぶっていた。

烏帽子は、文字通り、からすの帽子である。
頭がからすならば、衣服全体も鳥をイメージしていたのだろう。

つまり、日本人は、至聖所を守るケルビムとして置かれているということにならないだろうか。

私は、日本全体が境内、つまり、御神域なのだと思う。そして、日本人の使命とは、神のケルビムとして、御名と契約を守ることにあると思うのである。


 

 

2003年09月11日

 

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