故意の殺人に対して死刑以外の判決を下してはならない

 

社会は、もうそろそろ気づくべきではないか?
宅間被告は最後まで被害者に謝罪しなかった。
そして、自分に死刑判決が下る瞬間を避けるために、不規則発言をして退廷命令を受け、直接判決を聞かなかった。つまり、こと自分のことについてはどこまでも逃げを打つ臆病な人間なのだ。
世の中にはこのような「話が通じない妖怪」がいるのだ。
死刑廃止論は、このような人間にも温情をかけるのか?
悔悟の情も何もない殺人者を許すのか?
故意の殺人犯を処刑しない社会は、殺人に市民権を与える社会である。
だから今日、日本は、毎日無実の人々が殺される世の中になったのではないか?
日本社会は、もう一度考えなおすべきだ。
故意の殺人に対しては、死刑以外の判決を許さない法律を制定すべきではないか。

祭壇は、贖いが行われるところだったので、罪人の避難所であった。

ヨアブはソロモンの手を逃れるために、祭壇の角をつかんだ。

「この知らせがヨアブのところに伝わると、…ヨアブは主の天幕に逃げ、祭壇の角をつかんだ。」(1列王記2・28)

しかし、殺人の罪を犯した者は、たとえ祭壇の角をつかんでいる者であっても、そこから引きずり出して処刑しなければならなかった。

「しかし、人が、ほしいままに隣人を襲い、策略をめぐらして殺した場合、この者を、わたしの祭壇のところからでも連れ出して殺さなければならない。」(出エジプト記21・14)

殺人者に対する神の憎悪はこのようなものである。

殺人者の処遇には、選択の余地はない。

御言葉を尊重する人は、殺人者の処刑に同意しなければならない。



 

 

2003年08月28日

 

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